内科学 第10版 「食欲不振」の解説
食欲不振(症候学)
食欲とは飲食物を摂りたいという情動で,摂食行動を誘引する本能的欲求である.食欲不振はその欲求が減弱ないし欠乏している状態のことで,食欲不振が続くと栄養摂取に支障をきたし,健康障害や体力の低下をきたすことになる.食欲不振は,食物の消化吸収を担当する消化器臓器の疾患だけではなく,さまざまな臓器の疾患および病態によって発症する.通常,食欲不振はそれだけで発症することはまれであり,腹痛や発熱,胸部痛,動悸,息切れなどそのほかの症状に随伴して発症していることが多い.診断は食欲不振以外のほかの臓器に関連するような症状を手掛かりに診断し,治療は全身状態の改善とともに原因疾患への治療を行う.また,抑うつ状態や不安神経症など心理的要因による発症も多いので環境の変化や家族の状況,職場への不満や人間関係など心理状態に影響する社会活動全般について聴取することも重要である.
病態生理
食欲のコントロールは,脳神経のいくつかの食欲関連中枢にて行われる.食欲関連中枢は間脳の視床下部や脳幹に局在しているが,視床下部内の腹内側(ventromedial nucleus of the hypothalamus:VMH)は破壊すると動物はいくらでも食べるようになるので,満腹中枢として知られ,満腹感を形成し摂食活動を抑制する中枢として考えられてきた.一方,視床下部外側野(lateral hypothalamic area:LHA)は逆に破壊するとまったく食べなくなるので摂食活動を亢進させる空腹中枢であると考えられてきた.しかし,最近ではVMHやLHAだけではなく視床下部の室傍核(paraventricular nucleus:PVN)や脳弓周囲野(perifornical area:PFA)なども食欲コントロールに関与していることが明らかにされた.食欲調節はこれらの神経核間の伝達経路によって形成される統御システムによって行われていると考えられており,特定の神経核のみを食欲中枢として考える以前の考えから変わってきた. また,これらの食欲関連中枢へ末梢からの食欲関連シグナルを中継する箇所が視床下部の脳弓核(arcuate nucleus:ARC)である.ARCには食欲を亢進するペプチドのニューロペプチドY(neuropeptide Y:NPY)とアグーチ関連ペプチド(agouti-relaled peptide:AgRP)を含有する神経細胞がある.NPYを脳室内に注入すると食欲が亢進し食物摂取が増加し,エネルギー消費が減少する.視床下部のNPYは絶食やレプチン/インスリンシグナルが減少することによってその産生や分泌が増加することが知られている.AgRPはARC内の神経細胞にNPYと共存して存在するが,空腹によって増加しレプチン欠乏で増加する.AgRPも脳室内投与にて過食を生じる.一方,ARCには食欲を抑制するPOMC(pro-opiomelanocortin)ニューロンとCART(cocaine-and amphetamine-regulated transcript,コカイン・アンフェタミン調節転写産物)を含有するニューロンがある.POMCとCARTはレプチンによってその生成が増加することが知られている.ARCにはレプチンとインスリンに対する受容体が存在する.膵臓と脂肪組織から分泌された血中のレプチンとインスリンは食欲抑制に働くが,NPY/AGRPニューロンを抑制し,さらにPOMC/CARTニューロンを刺激して食欲を抑制する重要な食欲調節因子である. さらに,脳幹部の延髄にも食欲に関連する神経が認められるが,特に延髄の迷走神経中枢にある孤束核(nucleus tractus solitaries:NTS)は消化管からの求心性迷走神経が中継される神経核だが,消化管ホルモンの中には多数,食欲コントロールに関与しているホルモンが分泌されており,それらの消化管ホルモンが食欲抑制あるいは食欲亢進に関与していることが明らかになっている.グレリンを除きほかの消化管ホルモンの作用はNTSからさらに視床下部のARCに伝えられ食欲抑制に関与している.グレリンだけは食欲を亢進させることが明らかになっている. 食欲のコントロールにはこれらの視床下部ホルモンと消化管ホルモン以外に,ノルアドレナリンやセロトニン,ドパミンなどアミン系神経伝達物質の食欲コントロール作用も報告されている.その他,インターロイキン-1β,腫瘍壊死因子(tumor necrosis factor-α:TNF-α),プロスタグランジンなども炎症関連物質の食欲抑制作用も報告されており,それらが,さまざまな疾患における食欲低下を誘発している可能性がある.セロトニンはほとんど腸管に存在するが,中枢神経では橋から延髄に広がる縫線核ニューロンに存在し,薬剤性障害あるいは組織壊死物質,炎症関連物質などによって腸管やニューロンからセロトニンが放出され,それによって食欲不振を生じていることが推測される.図2-6-1に食欲調節機序を示す.
鑑別診断
食欲抑制を訴える患者を診たら,まず消化器疾患を否定する必要がある(表2-6-1).消化器においてはすべての臓器の悪性腫瘍や炎症,腸管狭窄,機能不全,運動低下によって食欲不振は生じる.しかし,消化器疾患以外にさまざまな病態や疾患が食欲低下を生じるのでそれらの疾患について鑑別する必要がある.感染症や膠原病など発熱を生じる疾患や可能性の高い悪性腫瘍疾患は鑑別されなければならない.また,脳腫瘍や脳出血,脳炎,髄膜炎,頭部外傷などの中枢神経障害,下垂体機能低下や甲状腺機能低下症,副腎皮質機能低下症,Addison病などの内分泌・代謝疾患,心不全や腎不全,貧血や白血病などの血液疾患,抗癌薬やParkinson病治療薬,ジキタリス製剤,解熱鎮痛薬,インターフェロン,骨粗鬆症治療薬などの薬剤障害などが食欲不振の原因となる.さらに,うつ病やうつ状態,不安神経症,統合失調症などの精神疾患,さらに神経性食欲不振症などの摂食障害など精神的な原因によって食欲低下をきたすことがある. また,最近では胃や周辺臓器に器質的疾患がないにもかかわらず上腹部痛や食後のもたれ感や膨満感,早期飽満感など上腹部症状を訴える機能性ディスペプシア(FD)が食欲低下の原因となっていることがあり,頻度の多い疾患でもあるので他疾患との鑑別のためにも正確に診断すべきである.
診断・臨床症状・検査成績
食欲不振の原因としては消化器疾患が最も多い.しかし,上にあげたさまざまな疾患・病態が原因となりうるので,症状改善のためには正確な診断が必要である.以下に診察および検査における診断のポイントを列挙する.
1)問診:
まず,発症の時期や状況,誘因,症状の経過について聴取する.そのときの家族状況や職場環境,人間関係,生活上の変化など心理的ストレスの原因があるか検討する.また,食欲低下や胃腸障害をきたすような薬剤の服用や治療を受けているか聴取する.過労や不眠も食欲不振の原因となるのでその可能性を聞いてみる.また,女性であれば月経の有無や異常について問い,妊娠の可能性や婦人科疾患について判断する.
2)自覚症状:
消化器疾患であれば腹痛,吐下血,下痢,便秘,体重減少を認めることが多い.倦怠感は急性肝炎のときに特に強く出ることが多い.しかし,発熱疾患や進行癌でも倦怠感は強いのでその可能性を考慮する.動悸,胸部痛,息切れのある場合は心疾患を考慮し,咳や痰も伴えば呼吸器疾患を考える.頭痛は脳血管性障害や脳腫瘍などの症状のことがある.口渇や多尿は重度の糖尿病症状のことがある.幻覚や幻聴は統合失調症,無気力感や不安感はうつ病やうつ状態,不安神経症などの症状の可能性があるので精神科受診が必要となる.
3)身体所見:
腹部圧痛,腹部膨隆,腫瘤触知,肝脾腫,腹水などは消化器癌や肝硬変など消化器疾患の症状のことが多い.心拡大,心雑音,胸水,呼吸音異常は心疾患や呼吸器疾患を示唆している.貧血は血液疾患を疑うか,あるいは消化管出血の有無を診断する.リンパ節腫脹は血液疾患や悪性腫瘍の症状のことがある.また,甲状腺機能低下症では甲状腺腫大や浮腫を生じ,また,心疾患や肝疾患,腎疾患でも浮腫を生じるので鑑別する必要がある.
4)検査:
スクリーニング検査として血液検査と尿検査,便潜血検査,胸部X線検査,心電図検査を行う.血液検査ではCRP,血算,AST,ALT,LDH,γ-GTP,ALP,アミラーゼ,クレアチニン,Ca,Na,Kの電解質などはスクリーニングとして測定し,リパーゼ,CA19-9やCEA,α-フェトプロテインなど腫瘍マーカーなどは自他覚症状から必要と思われる項目を選んで測定する. 上部消化管内視鏡検査や腹部超音波検査は適宜行い,CT検査やMRI検査も症状に応じて行うことにする.これらの検査で異常を見つけることができなかった場合は,うつ病など精神科疾患も疑い心理テストあるいは精神科受診を勧める.[屋嘉比康治]
■文献
Schwartz MW, Bloom R: Gut hormones and appetite control. Gastroenterology, 132: 2116-2130, 2007.
Schwartz MW, Woods SC, et al: Central nervous system control of food intake. Nature, 404: 661-671, 2000.
出典 内科学 第10版内科学 第10版について 情報