飯塚敏子(読み)イイヅカ トシコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「飯塚敏子」の解説

飯塚 敏子
イイヅカ トシコ


職業
女優

本名
本間 トシ

生年月日
大正3年 6月8日

出生地
埼玉県 大里郡明戸村

学歴
文化学院女学部中退

経歴
婦人公論」の美人投票に当選、昭和5年松竹蒲田に入社。6年小津安二郎監督の「淑女と髯」で岡田時彦の相手役としてデビュー。「この穴を見よ」などでヒロインを演じ、同年8月松竹下加茂に移る。衣笠貞之助監督の「唐人お吉」で主演。7年「弥次喜多美人騒動」で準幹部。同年坂東好太郎のデビュー作「世直し大明神」で共演して以来、美男美女コンビで大人気を博し、10年結婚。7年日活太秦の永田雅一が他社スター引き抜きに暗躍、1万円女優と新聞に騒がれた。8年幹部昇格。12年出産のため退社。14年「月夜鴉」で復帰。17年坂東好太郎一座を結成、24年まで舞台公演を行った。この間、21年に映画を引退。他の出演に映画「巷説・濡れつばめ」「奥様借用書」「朧夜の女」「あさぎり峠」などがある。

没年月日
平成3年 12月14日 (1991年)

家族
夫=坂東 好太郎(歌舞伎俳優),長男=坂東 吉弥(2代目),三男=坂東 弥十郎(初代)

伝記
松竹チャンバラ黄金時代 戦前篇―石割平コレクション 石割 平 編・著,円尾 敏郎 編(発行元 ワイズ出版 ’01発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「飯塚敏子」の解説

飯塚 敏子
イイヅカ トシコ

昭和期の女優



生年
大正3(1914)年6月8日

没年
平成3(1991)年12月14日

出生地
埼玉県大里郡明戸村

本名
本間 トシ

学歴〔年〕
文化学院女学部中退

経歴
「婦人公論」の美人投票に当選、昭和5年松竹蒲田に入社。6年小津安二郎監督の「淑女と髯」で岡田時彦の相手役としてデビュー。「この穴を見よ」などでヒロインを演じ、同年8月松竹下加茂に移る。衣笠貞之助監督の「唐人お吉」で主演。7年「弥次喜多美人騒動」で準幹部。同年坂東好太郎のデビュー作「世直し大明神」で共演して以来、美男美女コンビで大人気を博し、10年結婚。7年日活太秦の永田雅一が他社スター引き抜きに暗躍、1万円女優と新聞に騒がれた。8年幹部昇格。12年出産のため退社。14年「月夜鴉」で復帰。17年坂東好太郎一座を結成、24年まで舞台公演を行った。この間、21年に映画を引退。他の出演に映画「巷説・濡れつばめ」「奥様借用書」「朧夜の女」「あさぎり峠」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飯塚敏子」の解説

飯塚敏子 いいづか-としこ

1914-1991 昭和時代の映画女優。
大正3年6月8日生まれ。坂東好太郎の妻。松竹蒲田にはいり,昭和6年小津安二郎監督の「淑女と髯(ひげ)」に初出演。京都下加茂にうつり,長谷川一夫,高田浩吉(こうきち)らと共演し,松竹時代劇のスターとなった。平成3年12月14日死去。77歳。埼玉県出身。文化学院女学部中退。本名は本間敏(とし)。代表作に「鯉名(こいな)の銀平」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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