飯道山(読み)はんどうざん

日本歴史地名大系 「飯道山」の解説

飯道山
はんどうざん

信楽町北方に位置し、山頂部は水口みなくち町にもわたる。飯道寺はんどうじ山とも通称され、古くは金寄きんき山・餉令かれい山などとも記された。水口町域にある最高点のいちノ峰は標高六六四・二メートル。古来山岳信仰の対象とされ、信楽町には飯道神社・飯道寺(現廃寺)があり、修験道の霊山として信仰を集めた。所属山伏の活動は当山での活動のみにとどまらず、中世末以来、当山派と本山派の二大流派に分れた修験道界のうち当山派内を統括する正大先達寺院の一としての地位にあった。山名石楠花の葉に飯を盛って神祭を行うことにちなむという(室町時代「飯道寺古縁起」大野神社蔵)。「金葉集」に「かれひやま」を詠んだ歌として「あふみにかありといふなるかれひやまきみはこえけり人とねぐさし」がある。頂上部の一ノ峰、ノ峰(五九八メートル)とも花崗岩が露出する。南山麓の宮町みやまち付近は紫香楽しがらき宮跡に推定されている。

〔飯道神社・飯道寺〕

飯道神社の祭神は伊邪那美尊・速玉男命・事解男命。旧村社。同社の神宮寺であった飯道寺は金寄山と号し、天台宗であった。山麓村々には飯道山の水は米によい、飯道山の上が曇ると雨が降る、飯道山の雨と親類のボタモチはよばなくても来るなどの俗信があり、前掲古縁起では穀物神の宇賀御魂神と水神の弁才天を習合する飯道権現を祀るとあることから、山麓住民による分水信仰がみられる。すでに宝亀二年(七七一)に「飯道神」に対して封戸一戸が与えられた(新抄格勅符抄)、元慶八年(八八四)には従五位上から従四位下に進階している(「三代実録」同年三月二七日条)。「延喜式」神名帳に載る甲賀郡八座のうち「飯道神社」に比定される。飯道神が祀られる背景には、山麓住民の信仰だけでなく信楽杣(信楽は茂る木の転訛ともいう)の森林支配の神とする国家の承認があったとみられる。天平一四年(七四二)から紫香楽宮の造営工事があったこと(「続日本紀」同年八月一一日条)、奈良東大寺大仏殿の動揺防止難工事では、宝亀二年に実忠が信楽杣から原木を調達することで完了したことなどが(東大寺要録)、先の封戸一戸授与、また東大寺二月堂守護神として飯道神が祀られることにつながった(東大寺諸伽藍略録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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