実忠(読み)じっちゅう

改訂新版 世界大百科事典 「実忠」の意味・わかりやすい解説

実忠 (じっちゅう)

奈良~平安初期の東大寺の僧。良弁の弟子。生没年不詳。8世紀後半期の東大寺財政の危機に当たり収支を勘校して成果をあげ,あるいは造東大寺司の財政面にも良弁の目代として敏腕を振るい,財政運営に大きな功績をあげた。東大寺の造営修理についても,763年(天平宝字7)から771年(宝亀2)にわたって高さ11丈の大仏の光背を造り,大仏殿の天井を1丈上方に切り上げて光背を立て,764年には高さ8丈3尺の巨大な露盤を東塔に据えた。同年の恵美押勝の乱に当たっては良弁の命で新薬師寺の西野に土塔を建立,また称徳女帝発願の百万塔を納める塔の雛形を創案し,十大寺の小塔院はこれによって建立された。771年にはみずから近江の信楽(しがらき)杣に入って工匠を指揮して40本の巨材を運び,大仏殿の副柱を造って補強し,延暦末年には大仏の背部の破損に修理を加えたほか,東大寺の造瓦別当として僧坊の瓦19万枚も造った。これらの業績は《東大寺要録》の東大寺権別当実忠29ヶ条にみえるが,寺務に明るい実務家である反面,技術的な才能もうかがうことができる。

 774年以降東大寺寺主・上座要職に再三補任された。790年(延暦9)以後2度にわたり華厳供大学頭を代行し,後年実忠は華厳宗の僧とみなされるに至った。二月堂十一面悔過(けか)(修二会)にも関係があったことは《正倉院文書》で判明するが,創始者ではない。
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朝日日本歴史人物事典 「実忠」の解説

実忠

生年:生没年不詳
奈良・平安時代初期の僧。神亀3(726)年に生まれたといわれる。出自も未詳。天平年間(729~749)後半ころから東大寺の良弁の側近にあって東大寺の造営などに活躍,また同寺二月堂の十一面悔過にも長く奉仕した。これは実忠が始めたともいう。道鏡政権下,東大寺少鎮として引き続き造営にかかわり,西大寺,西隆寺の造営にも従事した。良弁の死後,東大寺の要職を歴任し,同寺の維持に尽力した。最後は権別当。特に寺院造営の技術者として傑出した僧であった。<参考文献>「東大寺権別当実忠二十九カ条」(『東大寺要録』所収),佐久間竜『日本古代僧伝の研究』

(鷺森浩幸)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「実忠」の解説

実忠 じっちゅう

726-? 奈良-平安時代前期の僧。
神亀(じんき)3年生まれ。華厳(けごん)宗。東大寺の良弁(ろうべん)に師事し,西大寺や西隆寺の造営にたずさわる。師の没後,東大寺の造営,財政を担当し,修理別当となる。難波(なにわ)の海中から十一面観音像をえて,十一面悔過会(けかえ)(修二会(しゅにえ),お水取り)をはじめたとつたえられる。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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