飯降伊蔵(読み)いぶりいぞう

改訂新版 世界大百科事典 「飯降伊蔵」の意味・わかりやすい解説

飯降伊蔵 (いぶりいぞう)
生没年:1833-1907(天保4-明治40)

幕末・明治期の天理教の組織者で〈本席〉。大和国宇陀郡の農民で,22歳ころ,添上郡櫟本村に移り大工職となった。1864年(元治1)妻さとの産後の病気を,天理教教祖中山みきに助けられて入信した。その礼に神の館の寄進を願い出たことから,同年,天理教最初の施設〈つとめ場所〉がつくられた。こののち18年間,毎夜のように中山家に通い,みきを助けて教勢の拡大に尽くした。この間,みきから〈扇のさづけ〉〈言上のさづけ〉を許され,扇を持って信者の願いを聞き,〈さづけ〉を渡した。87年みきが没すると,神のことばを伝える〈本席〉となった。本席として,各地を巡教し,神がかりして〈おさしづ〉を出し,また神のことばを語った。そのことばは,天理教原典のひとつ《おさしづ》に収められている。
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関連語 村上

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飯降伊蔵」の解説

飯降伊蔵 いぶり-いぞう

1834*-1907 幕末-明治時代宗教家
天保(てんぽう)4年12月28日生まれ。生地の大和(奈良県)室生(むろう)村から櫟本(いちのもと)村(天理市)にでて,大工として生計をたてる。妻の病気をきっかけに,元治(げんじ)元年天理教に入信する。教祖中山みきの死後の明治20年から神言をつたえ,本席として草創期の天理教を指導。神言の筆録「おさしづ」は同教の原典とされる。明治40年6月9日死去。75歳。

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367日誕生日大事典 「飯降伊蔵」の解説

飯降 伊蔵 (いぶり いぞう)

生年月日:1834年12月28日
江戸時代;明治時代の宗教家。天理教本席
1907年没

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世界大百科事典(旧版)内の飯降伊蔵の言及

【天理教】より

…前後18回にわたって検挙・勾留されたが,信仰は法律にも政治支配にも優越すると教えて,政府に妥協屈従することを許さなかった。 87年みきが没し,大工出身の飯降(いぶり)伊蔵(1833‐1907)が〈本席〉となり,神がかりして〈おさしづ〉を出し,教団を指導した。88年本部は神道本局の所属教会となり,日清・日露戦争では国策に積極的に奉仕して,1908年教派神道の一派として独立を公認された。…

※「飯降伊蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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