馬加(読み)まくわり

日本歴史地名大系 「馬加」の解説

馬加
まくわり

花見川河口右岸域に位置する中世の郷村。治承四年(一一八〇)八月石橋山の合戦に敗れた源頼朝は安房国に逃れ、再起して下総・武蔵方面へ向かったが、その途次、花見川村(華見川・検見川とも)に逗留し、同村および隣接地で諸軍の馬を世話したので「馬加」の地名が起こったという所伝を残す(日本地理志料)。当地に千葉常胤創建と伝える千葉山海隣かいりん寺があり(室町期に佐倉へ移転)、その海隣寺文書の延文五年(一三六〇)四月一八日の宮内大輔光胤寄進状に下総国馬加郷とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「馬加」の意味・わかりやすい解説

馬加
ばか / マージア
(1910― )

中国の小説家。本名は白永豊(はくえいほう/パイユンフォン)。本籍山東(さんとう/シャントン)省登州であるが、遼寧(りょうねい/リヤオニン)省新民県(現新民市)で生まれ育つ。1927年瀋陽(しんよう/シェンヤン)の東北大学に入り文学に親しむ。31年日本の東北侵略のため北京(ペキン)へ逃れ、35年左連の活動に参加。抗日戦が始まると38年延安(えんあん/イエンアン)へ行き辺区文芸工作に活躍、中華人民共和国成立後の50年東北作家協会主席となる。作品には東北の農村合作化を描いた長編『滹沱(フートー)河流域』(1946)、東北の土地革命を扱った長編『江山村十日』(1949)、抗戦勝利後東北へ赴く幹部部隊と国民党軍との遭遇戦を描いた中編代表作『しぼまぬ花』などがある。遼寧省の文連主席兼作家協会分会主席を務めたが、1987年正式に離休(引退)した。遼寧省作家協会名誉主席である。

[伊藤敬一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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