日本歴史地名大系 「馬頭村」の解説 馬頭村ばとうむら 愛知県:岡崎市馬頭村[現在地名]岡崎市美合(みあい)町藤川(ふじかわ)道と羽根(はね)村に至る里道が通過し、集落は両道付近に立地。東は蓑川(みのかわ)村・尾尻(おじり)村、西は上地(うえじ)村、南は坂崎(さかざき)村(現額田郡幸田町)、北は平地本宗(ひらちほんしゆう)寺領と接する。中世、乙見(おとみ)庄に属すという。享和三年(一八〇三)の御用郡村仮名付帳(上宮寺文書)に「額田郡之内乙見庄馬頭郷馬頭村道場秀願坊」と記す。村域一帯は生田原(しようだはら)・羽根野(はねの)・馬頭野などと称され、天文一七年(一五四八)織田信秀と今川義元との小豆坂(あずきさか)合戦場となった。「武徳編年集成」には、「信秀駿州ノ援兵来ルト聞テ馬頭原ニ進ンデ屯ス」と記す。永禄七年(一五六四)三河一向一揆でも「小豆坂ヲ過テ馬頭ノ蹈合ト云地ニ至リ」とある(武徳編年集成)。また天正一三年(一五八五)本願寺宛の徳川家康安堵状(三浦家文書)に「三州馬頭寺内之事、右諸式法度以下前々如土呂」とあり、平地本宗寺の再建を馬頭野の平地山で認めている。 馬頭村ばとうむら 山形県:東置賜郡高畠町馬頭村[現在地名]高畠町馬頭下和田(しもわだ)村および露藤(つゆふじ)村枝郷中島(なかじま)村の南に位置し、小黒(おぐろ)川(当地辺りの呼名は馬頭川)が西流。高畑(たかはた)―米沢城下を結ぶ道と和田―新田(にいだ)(現米沢市)を結ぶ道が当地で交差する。天文七年(一五三八)の段銭古帳に屋代(やしろ)庄内「まのかうへ」とみえ、古訓が知られる。段銭は五貫八二五文。同二二年の晴宗公采地下賜録では「まのかうへの内、一くわんはたけ并きり田」が宮崎与一郎に、「馬のかうへの内、山ち四郎分」が和田内記に与えられている。 馬頭村ばとうむら 栃木県:那須郡馬頭町馬頭村[現在地名]馬頭町馬頭和見(わみ)村の南にある。那珂川支流武茂(むも)川が村の中央で左岸に矢又(やまた)川を合せ西流する。古くは東接する武部(たけぶ)村と一村で武茂村と称したが、寛永期(一六二四―四四)以前二村に分れたという(水府志料)。西部の内都(うちみやこ)地区は、慶安郷帳・元禄郷帳では一村として扱われるが、天保一三年(一八四二)当村(一部は和見村)に含まれた。常陸水戸と黒羽(くろばね)・大田原方面を結ぶ道、江戸と奥州棚倉(たなぐら)(現福島県東白川郡棚倉町)を結ぶ道が村内を通る交通の要衝。東西に通る道筋は、東方・西方とも鉤の手に曲るが宿場入口の形をとり、西から田町・南町・古町・新町・曲之手と並ぶ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by