高仙寺(読み)こうせんじ

日本歴史地名大系 「高仙寺」の解説

高仙寺
こうせんじ

[現在地名]篠山市南矢代

松尾まつお山東南麓にある天台宗寺院。本尊は十一面観音。大正年間に松尾山上から現在地に移転した。江戸時代は多紀たき三山の一つといわれた。法道の開山と伝え、もと長流ちようりゆう(文保寺)と一ヵ寺であったという。南北朝期の九月二七日の高仙寺衆徒等書状(清水寺文書)によれば、「高仙寺衆徒」が清水きよみず(現社町)造営に援助している。「篠山領地志」に塔頭二五坊であったが、二三坊になったとある。「丹波志」に智光ちこう院・真珠しんじゆ院・顕照けんしよう院・恵眼えげん院など二四院が記される。


高仙寺
こうせんじ

[現在地名]上田市大字小泉

小泉村日向小泉ひなたこいずみの北方山腹にある。真言宗、京都六波羅普門院末。本尊大日如来を安置する大日堂は、日向小泉の集落から約三〇〇メートルの参道の突当りに南面して建つ。

寺伝によれば「延暦十六年坂上田村麻呂、東夷征討のため、信濃国へ発向の際祈願あり、凱旋の節、伽藍を建立し、十二坊仁王門共、大同元年落成したが、のち天文年中武田氏の侵入による兵火にかかり堂宇焼失し、ただ本堂のみを残す。かつて、塩田依田の村に永世勧化を許され、月に一戸米一合、銭一銭を仏餉灯明所として寄付した」という(長野県町村誌)


高仙寺
こうせんじ

[現在地名]上山市仙石 屋敷裏

仙石せんごく集落の東端高台にあり、金宝山と号し、真言宗智山派、本尊普賢菩薩。もと仙石せんごくの西端にあったといわれる。中世初頭熊野信仰が大いに栄えた頃、二四ヵ寺の熊野一山衆を管掌していた別当一乗院が高仙寺になったという(「金宝山熊野記」高仙寺蔵)。天正二年(一五七四)伊達輝宗の攻撃により兵火に焼かれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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