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高力清長 こうりき きよなが

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高力清長 こうりき-きよなが

1530-1608 戦国-江戸時代前期の武将,大名。
享禄(きょうろく)3年生まれ。高力重長の孫。徳川家康につかえる。三河(愛知県)岡崎奉行などをつとめ,小牧・長久手(ながくて)の戦いの際には和議の使者となった。家康の関東入部後,天正(てんしょう)18年(1590)武蔵(むさし)岩槻(いわつき)城(埼玉県)城主となり,2万石を領した。慶長13年1月26日死去。79歳。通称は与左衛門。

出典|講談社
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世界大百科事典 第2版の解説

こうりききよなが【高力清長】

1530‐1608(享禄3‐慶長13)
徳川家康の譜代部将。高力氏は熊谷直実の後胤といわれ,三河国高力郷に居住し家康の祖父清康に臣属した。清長は家康より12歳年長で駿府人質時代に随従する。三河一向一揆後,岡崎の奉行をつとめ〈仏高力〉の異称があり,いわゆる三河三奉行の一人とされた。財務にも長じた吏僚的武将で,徳川氏の関東入部後,武蔵国岩槻城2万石を領した。【煎本 増夫】

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世界大百科事典内の高力清長の言及

【岩槻[市]】より

…江戸よりおよそ9里に位置し,近郷商圏の中心であり,市立ては1560年岩槻の商人勝田佐渡守が岩槻城主太田資正から免許された由緒を伝える。90年高力(こうりき)清長岩槻入城とともに4万2145坪(約14ha)の地子が免許され,戦禍で離散した町人の還住がはかられ1・6の六斎市が復活した。この市立てについては1601年(慶長6)高力河内守(清長)が掟書を発し市場の統制をはかっているが,ここで取引される木綿は岩槻木綿と称され特産品の一つである。…

【岩槻藩】より

…武蔵国(埼玉県)埼玉郡に藩庁を置いた譜代小藩。江戸近郊に位置するため,歴代譜代大名が配され,1590年(天正18)高力(こうりき)清長が2万石で入封したのが藩の起りである。清長は,有力寺社への所領寄進,離散農民の帰住促進,市の保護など領内の再建に努めた。…

※「高力清長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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