高垣眸(読み)タカガキ ヒトミ

20世紀日本人名事典 「高垣眸」の解説

高垣 眸
タカガキ ヒトミ

大正・昭和期の作家



生年
明治31(1898)年1月20日

没年
昭和58(1983)年4月2日

出生地
広島県尾道市

本名
高垣 末男(タカガキ スエオ)

別名
別筆名=田川 緑,青海 昕二,小野 迪夫

学歴〔年〕
早稲田大学文学部英文学科〔大正9年〕卒

経歴
新聞記者を志して上京したがかなわず、大正12年青梅実科高等女学校(現・都立多摩高)に英語教諭として赴任し、昭和11年まで青梅市で暮らす。教職傍ら、少年向けの冒険小説を書き始める。大正14年の「竜神丸」を皮切りに「まぼろしの城」「豹の眼」などで一躍人気作家となる。のちに教師を辞し、作家に専念。昭和10年雑誌「少年倶楽部」に連載した「快傑黒頭巾」は51年テレビドラマ化された他、映画も多く作られた。戦後はむしろ大人向きに転じて漁業問題にも関心を持ち、「魚の胎から生まれた男」の著作もある。右眼失明後に書いたSF「燃える地球」が遺作となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高垣眸」の意味・わかりやすい解説

高垣眸
たかがきひとみ
(1898―1983)

大衆児童文学の作家。本名末男(すえお)、別名青梅二(おうめせきじ)。広島県尾道(おのみち)市に生まれる。早稲田(わせだ)大学を卒業して新国劇の脚本家を志す。女学校教師をしながら少年読み物を書き、1925年(大正14)『少年倶楽部(くらぶ)』に連載した『竜神丸』が人気を得て児童向き時代小説の作家として地位確立。『快傑黒頭巾(かいけつくろずきん)』『まぼろし城』『銀蛇(ぎんだ)の窟(いわや)』などの作品が有名。欧米大衆小説筋立てや構成を日本の過去の時代に翻して書いたものが多い。第二次世界大戦後は千葉県勝浦市で青少年指導に情熱を傾けた。

上笙一郎

『加藤謙一著『少年倶楽部時代』(1968・講談社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高垣眸」の解説

高垣眸 たかがき-ひとみ

1898-1983 大正-昭和時代の児童文学作家。
明治31年1月20日生まれ。新国劇文芸部員をへて女学校教師となる。大正14年「少年倶楽部(クラブ)」に「竜神丸」を連載し,児童向け時代小説家としての地位を確立した。昭和58年4月2日死去。85歳。広島県出身。早大卒。本名は末男。著作に「快傑黒頭巾(ずきん)」「まぼろし城」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「高垣眸」の解説

高垣 眸 (たかがき ひとみ)

生年月日:1898年1月20日
大正時代;昭和時代の児童文学作家;小説家
1983年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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