高山寺境内(読み)こうさんじけいだい

国指定史跡ガイド 「高山寺境内」の解説

こうさんじけいだい【高山寺境内】


京都府京都市右京区梅ヶ畑栂尾(とがのお)町にある真言宗系の単立寺院。寺のある京都市街北西の山中、栂尾は古代から山岳修行の地として知られ、度賀尾(とがのお)寺などと称する寺院があった。創建は奈良時代といわれ、平安時代には近隣の神護寺(じんごじ)の別院であったが、再興したのは鎌倉時代の明恵(みょうえ)上人である。念仏本位の仏教を批判し華厳宗中興の祖と称される明恵は、1206年(建永1)、後鳥羽上皇からこの寺域と寺名のもとになった「日出先照高山之寺(ひいでてまずてらすこうざんのてら)」の額を下賜され、名を高山寺とした。1230年(寛喜2)には境内が定められ、同年の絵図によると大門、金堂、三重塔、阿弥陀堂、経蔵などがあったが、当時の経蔵が石水院として現存する以外、そのほかの建物はたびたびの戦乱や火災で焼失した。明恵は寺内に庵を建てるなど、坐禅修練に専心してここで没した。栄西が宋から持ち帰った茶の種を贈られ、それを植えたという茶園が残る。境内の御廟には高さ3.2mの宝篋(ほうきょう)印塔(重要文化財)が建ち、江戸時代に再建された開山堂重文)には鎌倉時代の木造明恵上人坐像(重文)が安置されている。石水院(国宝)は桁行正面3間、背面4間、梁間3間の入り母屋造り、柿(こけら)葺きの建物で、後鳥羽上皇の学問所を下賜されたものとされ、明恵の住房跡とも伝える。宝物では鳥羽僧上覚猷(かくゆう)(1053~1140年)筆と伝える紙本墨画『鳥獣人物戯画』をはじめ、紙本着色華厳宗祖師絵伝、空海の編纂になる漢字辞書の唯一の古写本として貴重な『篆隷万象名義(てんれいばんしょうめいぎ)』などが国宝に、乾漆薬師如来坐像、高山寺典籍文書などが重要文化財に指定されている。1966年(昭和41)に国の史跡に指定され、1994年(平成6)には「古都京都の文化財」の一部として、世界遺産に登録された。京福電気鉄道北野線宇多野駅から車で約13分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android