朝日日本歴史人物事典「高平小五郎」の解説
高平小五郎
生年:安政1.1.1(1854.1.29)
明治大正期の外交官。一ノ関藩(岩手県)藩士田崎三徹の3男。同藩士高平真藤の養子となる。戊辰奥羽戦争に従軍。明治3(1870)年貢進生として大学南校(東京大学)に入学。6年卒業,工部省出仕。9年外務省出仕となり12年より米国公使館勤務。日米約定交渉の事後処理などにかかわったのち,18年ソウル公使館勤務。20年上海領事を経て,24年総領事としてニューヨーク勤務。25年駐オランダ兼デンマーク弁理公使,27年駐イタリア特命全権公使,28年オーストリア兼スイス公使と転々としたのち,32年外務次官,33年より駐米公使。日露戦後のポーツマス会議(1905)では小村外相と共に全権として働く。39年貴族院勅選議員となるが40年再びイタリア公使,男爵。41年米国公使となり,太平洋の現状維持,中国での機会均等を決めた高平・ルート協定を結ぶ。43年貞愛親王に随行し渡英,大正6(1917)年再び貴族院勅選議員。無所属派,のち同成会に属す。
(酒田正敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報