高橋新田
たかはししんでん
[現在地名]清水市高橋南町・永楽町・八坂東・八坂西町・八坂南町など
高橋村の東、巴川中流部の左岸に位置し、東は西窪村・西窪新田。江戸時代の領主の変遷は高橋村に同じ。元禄郷帳では高四一五石余。元禄五年(一六九二)には高橋村などとともに前年の検地による出目を基準とした年貢や伝馬課役について、旧来の検地高による賦課を訴えている。
高橋新田
たかはししんでん
[現在地名]中条町高橋
日本海に沿う砂丘内陸東側にあり、北は堀口新田、南は苔ノ実新田・中倉新田に接する。東南を堀川が流れる。享保年間(一七一六―三六)の紫雲寺潟開発により成立した村。元文元年(一七三六)の検地高二七一石六斗余・田畑二四町九反九畝余(皇国地誌)。
高橋新田
たかはししんでん
[現在地名]大潟町高橋新田
北は米倉新田、南は和泉新田に接する。正保三年(一六四六)から明暦元年(一六五五)にかけて行われた中谷内新田開発によって成立した新田。開発高は三三七石五斗余(平石家文書)。文化六年(一八〇九)の梶組五人組帳(明治大学刑事博物館蔵)によれば家数二六(うち本棟九・名子棟一七)・人数一八二(男九七・女八五)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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