高玉村(読み)たかだまむら

日本歴史地名大系 「高玉村」の解説

高玉村
たかだまむら

[現在地名]白鷹町高玉

現白鷹町の西南端、北流する最上川左岸に位置し、対岸東方は広野ひろの村、南は白兎しろさぎ(現長井市)。東流する大鮎貝おおあゆかい川が当地で最上川に合する。おもな集落は最上川沿いの東高玉、西方山山麓の西高玉の二地区に分れ、高擶・高楡とも記した。東高玉には高玉(高楡)氏四代の居城と伝える高玉城跡、西高玉には葉山中腹の八幡はちまん館、字腰廻こしまわりを中心に上本館かみもとだて・中本館鍛冶屋敷かじやしき鮎之目あゆのめなどの地名が残る本館跡、村上備後の居館と伝え備後館びんごだて湯屋尻ゆやじりなどの地名が残る備後館跡、字館廻たてまわりを中心に小田之館おだのたて辺り(前田にあたるか)までを含んでいたと思われる小田館跡などの中世城館跡がある。

大永二年(一五二二)三月一九日の伊達稙宗安堵状(高成田文書)によると下長井に住む先達の南蔵より買った「高楡之郷南方之内七百苅馬場」、普済軒より譲られた「手作まゝの下千六百苅、まゝの上四百苅、年貢之分七百苅」、村上備後より買った「高楡之郷之内はけの道林屋敷」などが舟生右馬助に安堵された。同安堵状にみえる馬場ばば細田ほそだ・そり町(そうり町、雪舟町)・あひの目(鮎之目)油田あぶらだなどは現在も地名に残る。同日付の伊達稙宗安堵状(同文書)によると南蔵より買った「高楡郷之内千蔵之屋敷、田た川道より南堅田百苅、こしめくり百苅」が松岡土佐の娘に、同じく大永年間のものと思われる伊達稙宗安堵状案(伊達家文書)によると「たかたまの郷」内の舟生式部分の田五万五千七〇〇刈、畠一五貫七五〇文の地が松岡土佐に安堵された。


高玉村
たかたまむら

[現在地名]郡山市熱海町高玉あたみまちたかたま・熱海町熱海

横川よこかわ村の西、阿武隈川支流五百ごひやく川の上流域北側の河岸段丘とそれに続く山地に立地。五百川沿いの二本松街道に沿い、中山なかやま宿と横川宿の中間にあたる。渓谷を流れる五百川沿いに熱海温泉(高玉温泉)が湧出する。天正一四年(一五八六)九月七日の二本松配分日記(伊達家文書)に、高玉近江守恩所として高玉のうちに「ゆき内」「との内」「中たう」「あかめ内」「すもゝ田」「まの五郎内」「あしたう内」「あたミ内」「平三内」「山口」などとみえ、同年二本松畠山氏を滅ぼして安達郡を手に入れた伊達政宗は、畠山旧臣の高玉近江守に当地などを与えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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