高畠華宵(読み)タカバタケカショウ

デジタル大辞泉 「高畠華宵」の意味・読み・例文・類語

たかばたけ‐かしょう〔‐クワセウ〕【高畠華宵】

[1888~1966]挿絵画家愛媛の生まれ。本名、幸吉。大衆雑誌や少年少女雑誌挿絵人気を博した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高畠華宵」の意味・わかりやすい解説

高畠華宵
たかばたけかしょう
(1888―1966)

挿絵画家。本名は幸吉。愛媛県宇和島市に生まれる。京都市立美術工芸学校の日本画科に学び、花宵と号した。20歳ごろより大衆娯楽誌、女性誌、少年少女雑誌に挿絵を描き始め、号の文字も華宵と改めた。説明性を尊びつつ叙情的な人物や情景を描いた彼の画風は、少年少女をはじめ各層の読者をとらえ、大正末期から昭和初年代にかけてもっとも人気の高い挿絵画家となった。第二次世界大戦後アメリカで暮らしたこともあるが、数年で帰国した。1984年(昭和59)には終焉(しゅうえん)の地である東京都文京区弥生(やよい)町にその画業を記念して弥生美術館が建設された。また、愛媛県東温(とうおん)市には高畠華宵大正ロマン館がある。

上笙一郎

『『高畠華宵名作画集』(1967・講談社)』『『想いでの華宵絵ごよみ』(1969・ノーベル書房)』『高畠華晃著『画家の肖像――高畠華宵の伝記と作品』(1971・沖積舎)』『『高畠華宵名画集』(1984・講談社)』『『美少年・美少女幻影』(1985・平凡社)』『コロナ・ブックス編集部編『高畠華宵・美少年図鑑』(2001・平凡社)』『松本品子編『高畠華宵――大正・昭和・レトロビューティー』(2004・河出書房新社)』


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20世紀日本人名事典 「高畠華宵」の解説

高畠 華宵
タカバタケ カショウ

大正・昭和期の挿絵画家



生年
明治21(1888)年4月6日

没年
昭和41(1966)年7月31日

出生地
愛媛県宇和島裡町(現・宇和島市)

本名
高畠 幸吉

学歴〔年〕
京都市立美術工芸学校日本画科中退,関西美術院中退

経歴
明治35年日本画家平井直水の門に入り、36年京都市立美術工芸学校日本画科に入学。39年上京し、新聞広告の図案等に執筆する。44年から津村順天堂の婦人薬“中将湯”の広告絵を手がける。大正3年「講談倶楽部」の挿絵を執筆し、以後講談社の全雑誌に執筆する。14年実業之日本社に移り「日本少年」「少女の友」「婦人世界」などに執筆、抒情味に満ちた美人画は、多くの女性ファンに親しまれた。昭和8年日本画に専念するため各地を旅行。39年兵庫県の養老施設・愛老園に入る。没後「高畠華宵名作画集」「画家の肖像」などが刊行された。作品の多くは弥生美術館(東京都文京区)、高畠華宵大正ロマン館(愛媛県重信町)に収められている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高畠華宵」の解説

高畠華宵 たかばたけ-かしょう

1888-1966 大正-昭和時代の挿絵画家。
明治21年4月6日生まれ。京都市立美術工芸学校で日本画をまなぶ。明治39年上京,44年中将湯(ちゅうじょうとう)の広告画をえがく。「講談倶楽部(クラブ)」「少年倶楽部」「日本少年」などの雑誌の挿絵でたかい人気をえた。昭和41年7月31日死去。78歳。愛媛県出身。本名は幸吉。初号は花宵。

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367日誕生日大事典 「高畠華宵」の解説

高畠 華宵 (たかばたけ かしょう)

生年月日:1888年4月6日
大正時代;昭和時代の挿絵画家
1966年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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