日本歴史地名大系 「高須城跡」の解説
高須城跡
たかすじようあと
東西を木曾三川に挟まれて立地する平城跡。中世は氏家氏・大橋氏などの居館、近世には高須藩政庁が置かれた。高須御館・高洲城とも。遺構は堀・土塁がみられるが、明治六年(一八七三)の大蔵省布達で公売に付され、現在は高等学校の敷地になっている。
「新撰美濃志」は高須城を築いたのは大永二年(一五二二)大橋重一によるという記録を伝えている。これより先、暦応元年(一三三八)一一月日の足利尊氏宛行状写(栃木県庁採集文書)に「石津郡高須・沢田・一ノ瀬等地頭職事」とあり、勲功の賞として氏家重国に宛行っている。重国が高須に居館を構え、土着したのが当城の前身であるという説があり、孫の盛国の頃からは
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報