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魚允中 ぎょいんちゅうO˘ Yunjung

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

魚允中
ぎょいんちゅう
O˘ Yunjung

[生]憲宗14(1848)
[没]建陽1(1896)
朝鮮,朝鮮王朝 (李朝) 末期の政治家。字は聖執。号は一斉。梁山郡守,暗行御史などを歴任。高宗 18 (1881) 年日本視察の命を受け来日,帰国して開国政策を主張した。以後対外折衝の任にたずさわり,同 19年朝米通商条約の条文作成に参加。さらに中朝商民水陸貿易章程の成立にも関与。同 20年西北経略使に任命され,中江貿易章程,会寧通商章程などを協定。同 31年甲午の改革に際して親日派の金弘集内閣に参加したので建陽1 (96) 年国王がロシア公使館に移って親露派の内閣が成立したとき,親日派であるという理由で殺害された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

魚允中 ぎょ-いんちゅう

オ-ユンジュン

魚允中 オ-ユンジュン

1848-1896 朝鮮王朝の政治家。
憲宗14年生まれ。1881年(明治14)日本を視察。1894年甲午改革にあたって日本の支持をうけ,金弘集(キム-ホンジプ)内閣の度支部(たくしぶ)大臣。1896年親露派によるクーデターのため内閣がたおされ,郷里へ避難の途中,同年(建陽1)2月17日群衆に殺された。49歳。忠清道出身。字(あざな)は聖執。号は一斎。著作に「従政年表」。

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世界大百科事典 第2版の解説

ぎょいんちゅう【魚允中 O Yun‐jung】

1848‐96
朝鮮の李朝末期,開化派の政治家。字は聖執,号は一斎。咸従の人。1869年に科挙の文科に及第,81年には紳士遊覧団の一人として日本を視察。83年に西北経略使として朝鮮,中国,ロシアとの国境線画定に努力した。94‐95年甲午改革当時は金弘集内閣の度支部大臣として財政改革に当たったが,96年2月に同内閣が倒れ,京畿道竜仁で殺害された。著書に《従政年表》がある。【姜 在 彦】

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