日本歴史地名大系 「鮎河村」の解説
鮎河村
あいがむら
慶長五年(一六〇〇)幕府領、元禄郷帳では宮川藩領、天明村高帳では京都所司代牧野貞長領。その後再び幕府領となる(文政石高帳など)。寛永石高帳では高九二五石余、ほか銀一一〇匁余・銭八文。慶安二年書上では田四一六石余・畑屋敷二五三石余・永荒川欠二五五石余。万治三年(一六六〇)の免状(鮎河区有文書)は水口代官小堀仁右衛門が給し、九二五石余のうち毛付高は六五八石余、取米は二五四石余。元禄郷帳では高七九八石余。元文五年(一七四〇)の村明細帳(鮎河区有文書)によれば田四〇町七反余・畑屋敷三〇町六反余。
鮎河村
あゆがわむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報