日本大百科全書(ニッポニカ) 「鮑照」の意味・わかりやすい解説
鮑照
ほうしょう
(414?―466)
中国、南朝宋(そう)の詩人。字(あざな)は明遠。東海郡(江蘇(こうそ)省)の人。初め詩を献じて臨川王劉義慶(りゅうぎけい)(『世説新語』の編者)に認められ国侍郎(じろう)となり、その後、太学博士(たいがくはかせ)、中書舎人(しゃじん)、海虞令(かいぐれい)、永嘉(えいか)令など中央政府直属の官職も歴任したが、下層貴族の寒門(かんもん)出身であったため、上昇志向の挫折(ざせつ)を運命づけられていた。臨海王劉子頊(りゅうしぎょく)の参軍であったとき、皇族間の権力闘争が内乱に発展し、臨海王も中央に反旗を翻した。反乱は失敗に終わり、鮑照は攻防のさなか乱兵に殺害された。詩人としての鮑照は、同時代の謝霊運(しゃれいうん)、顔延之(がんえんし)とともに「元嘉(げんか)の三大家」とよばれ、叙景詩に新生面を開いたが、より大きな特色は、楽府(がふ)に優れていたことである。彼自身が貴族社会の不合理に直面していたため、現実批判の姿勢を楽府の伝統のなかに生かし、下層貴族の悲哀や民衆の苦難を歌った。主要な作品は『文選』に収められ、『鮑氏集』10巻がある。なお、妹の鮑令暉(ほうれいき)も女流詩人として名高い。
[成瀬哲生]