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謝霊運 しゃれいうん Xie Ling-yun

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

謝霊運
しゃれいうん
Xie Ling-yun

[生]太元10(385).始寧
[没]元嘉10(433).広州
中国,六朝時代の宋の詩人。字,宣明。謝氏はもと陽夏 (河南省) に本拠をおいたが,晋の東遷とともに始寧 (浙江省) へ移った貴族で,祖父謝玄は晋の車騎将軍,康楽公。その祖父の爵位を若くして継いだので謝康楽とも呼ばれる

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デジタル大辞泉の解説

しゃ‐れいうん【謝霊運】

[385~433]中国、南朝の宋の詩人。陽夏(河南省)の人。永嘉太守・侍中などを歴任。のち、反逆を疑われ、広州で処刑された。江南の自然美を精緻(せいち)な表現によって山水詩にうたった。

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百科事典マイペディアの解説

謝霊運【しゃれいうん】

中国,南朝宋の詩人。謝康楽とも。諸官を歴任したが,傲慢(ごうまん)な性格も原因し,治績をあげえなかった。文才の故に文帝に招かれたが,隠棲(いんせい)して自適の生活に入る。
→関連項目六朝文化

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世界大百科事典 第2版の解説

しゃれいうん【謝霊運 Xiè Líng yùn】

385‐433
中国,南朝宋の詩人。陳郡陽夏(河南省)の人。六朝(りくちよう)きっての名門貴族の出で,祖父の謝玄は東晋を北方異民族の侵入から救った英雄として名高い。謝霊運は父祖以来の爵位を継いで康楽公に封ぜられたから,謝康楽とも呼ばれる。南朝に並びなしといわれるほどの文才の持ち主だったが,傲慢な性格も原因して,官途では志を得ぬことが多かった。浙江の永嘉太守に左遷されたとき,自然の美に傷心をいやすことに慰めを見いだし,山水を主題とする多くの詩を著した。

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大辞林 第三版の解説

しゃれいうん【謝霊運】

385~433) 中国南北朝時代、宋の詩人。晋しんの謝玄の孫。字あざなは宣明。山水を詠じた新詩風を興す。叛意ありと訴えられて処刑された。著「謝康楽集」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

謝霊運
しゃれいうん
(385―433)

中国、南朝宋(そう)の詩人。陳郡陽夏(河南省)の人。例外的だが字(あざな)はない。門閥貴族謝氏の出身。東晋(とうしん)の名宰相謝安は曽祖父(そうそふ)の弟にあたり、祖父は前秦(しん)の苻堅(ふけん)(ひすい)で破った謝玄である。康楽公に封ぜられた謝玄の爵位を継いだので、謝康楽ともよばれる。謝玄なきあと、一族を指導したのは、従叔(じゅうしゅく)の謝混である。当時建康(南京(ナンキン))の烏衣巷(ういこう)にあった謝氏の邸(やしき)で、謝混はしばしば謝霊運ら年少の子姪(してつ)を集め、文遊した。世に「烏衣の遊び」という。だが晋宋王朝交代期に状勢判断を誤って謝混が劉裕(りゅうゆう)(宋の武帝)に殺されると、謝混に近かった謝霊運の立場はにわかに複雑なものとなり、宋王朝成立後も、政治的不遇に甘んじなければならなかった。
 すでに謝混の詩において自然描写の傾向が認められるが、浙江(せっこう)省の会稽(かいけい)や永嘉(えいか)の太守に左遷された謝霊運は、その不満を美しい自然に慰め、山水の美を詩のなかに再現した。とりわけ、それまでの老荘的形而上(けいじじょう)学に支配された自然観を払拭(ふっしょく)し、自然を美の対象としてみることを可能にしたのは、大きな変革である。自然の美を発見し、また仏教を厚く信じたが、傲慢(ごうまん)な性格から反逆を疑われ、処刑された。『文選』にもっとも多くその詩がとられており、「江中の孤嶼に登る」などが代表作。[成瀬哲生]
『船津富彦著『中国の詩人3 謝霊運』(1983・集英社) ▽小尾郊一著『謝霊運――孤独の山水詩人』(1983・汲古書院)』

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世界大百科事典内の謝霊運の言及

【詩】より

…なお,東晋末から宋にかけて重要な詩人が2人ある。陶潜(淵明)と謝霊運である。前者は田園詩人として日本でも広く知られるが,詩壇の主流の外にあった詩人で,その詩は平明な用語の裏に,実は深い思索を秘めている。…

【謝朓】より

…その景・情を巧みに融合させた繊細な感覚は,六朝後期を代表する詩人たるに恥じない。謝霊運を〈大謝〉と称するのに対して,〈小謝〉と呼ばれる。その詩は唐詩の抒情の先駆けとなり,ことに李白の詩に及ぼした影響は大きい。…

【中国文学】より

…その後も詩人は続々出て,技巧はますますみがかれ,典故は多く用いられ,対句の構成も増加する。その技巧をさらに進め,崇高な自然の美を求めて,新たな世界を開いたのは謝霊運であった。彼が描く山水を照らす光の輝きは強い印象を与える。…

【旅行記】より

…これまでの文芸の素材は主として人事であり,自然をとりあげても抒情のきっかけとしてであったものが,素朴な自然と触れ合うことにより,自然そのものを題材とするようになった(山水)。 遊記の作品として第一に挙げられるのは,南朝宋に仕え永嘉(浙江温州)の太守であり,付近の山川を巡遊し,多くの山水詩とともに《游名山記(志)》と題する作品を残した謝霊運であろう。このほか,王羲之《游四郡記》,釈慧遠(しやくえおん)《游山記》などがあり,また鮑照《登大雷与妹書》,呉均《与宋元兄弟》などは,書信の形をとってはいるが,内容は遊記と同じである。…

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