日本の城がわかる事典 「鮫ヶ尾城」の解説 さめがおじょう【鮫ヶ尾城】 新潟県妙高市(旧新井市)にあった山城(やまじろ)。国指定史跡。春日山城(上越市)の南方、妙高高原から頸城平野に向かって伸びた、標高187m、比高差約120mの尾根上に築かれていた。この城は、春日山城に至る北国街道の防衛拠点として、長尾上杉氏により永正年間から天正年間にかけて(1504~93年)築かれたとも、長尾景虎(上杉謙信)が武田信玄の侵攻に備えて築城したともいわれるが、築城者、築城年代はわかっていない。1578年(天正6)の上杉謙信の急死後、その後継者をめぐって起こった御館の乱で、上杉景勝に敗北した上杉景虎の最期の地として知られる城である。御館の乱が勃発したとき、鮫ヶ尾城の城主は上杉景虎方の堀江宗親だった。景虎が拠点とした御館(上越市)が落城すると、宗親は景虎を実家の小田原北条氏へ逃がすべく鮫ヶ尾城に引き入れた。しかし、宗親は景勝方の安田顕元の工作に応じて寝返り、二の丸に火を放って退去した。その後、鮫ヶ尾城の景虎は景勝方の攻撃を受けて妻子とともに自刃、鮫ヶ尾城は落城した。鮫ヶ尾城の米蔵跡からは、この戦いで焼けた米(文化財に指定されている)が出土する。2008年(平成20)に行われた調査では米のおにぎりも出土した。城跡には曲輪(くるわ)、堀切、竪堀、井戸などの遺構が残っている。JR信越本線北新井駅から徒歩約40分。◇宮内古城ともよばれる。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報