鳥居清元(読み)とりい・きよもと

朝日日本歴史人物事典 「鳥居清元」の解説

鳥居清元

生年生没年不詳
江戸前期の浮世絵師鳥居派始祖で,鳥居家の初代当主・清信の父という。本姓近藤。もと大坂の女形役者で鳥居庄七と名乗ったが,画技に長じ芝居の看板を描いていたという。貞享4(1687)年春,清信と共に江戸に下り,難波町に住み,元禄3(1690)年市村座の絵看板を描いて好評を博し,以後他の芝居の絵看板も手がけるようになったという。以上は,鳥居家の伝聞を基に金子伴雨が明治末・大正期にまとめた『鳥居画系譜』によるもので,現在清元の作品は確認されていず,絵看板の歴史と整合しない面もあるので,今後の解明が待たれる。

(浅野秀剛)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鳥居清元」の解説

鳥居清元(初代) とりい-きよもと

1645?-1702 江戸時代前期の浮世絵師。
正保(しょうほ)2年?生まれ。初代鳥居清信(きよのぶ)の父。もと大坂歌舞伎の女方だったが,貞享(じょうきょう)4年江戸にうつる。市村座などの看板絵かき,以後鳥居家が江戸の芝居小屋と専属関係をもつ基礎をきずいた。元禄(げんろく)15年4月28日,58歳?で死去。本姓は近藤。通称は庄七。

鳥居清元(2代) とりい-きよもと

?-? 江戸時代後期の浮世絵師。
鳥居家4代清長の門人という。江戸小梅村にすみ,文政-安政(1818-60)のころ作画した。向島牛島神社の額「矢の根五郎」には72歳筆としるされていたといい,長寿だったとおもわれる。通称は金次郎,三郎助。別号に雪光斎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の鳥居清元の言及

【鳥居派】より

…浮世絵の一流派。元禄年間(1688‐1704)から現代に至るまで約300年間,歌舞伎界と密接な関係を保ち,芝居絵,役者絵を専業として家系をつないだ。劇場の絵看板(看板絵)や番付絵,役者姿絵の版画などは,いずれも演目と配役が決まりしだい上演に先立って作画にかかる必要があり,芝居にくわしく歌舞伎界のしきたりに通じていなくては難しい領域であった。鳥居派は役者出身の清元を元祖とするように,因襲的な劇界と関係深く,また草創期の清信,清倍(きよます)が芝居絵に適した独自の様式を確立したこともあずかって,ながく劇界専属の地位を独占し他派の介入をほとんど許すことがなかった。…

※「鳥居清元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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