鳥居清元(読み)とりい きよもと

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鳥居清元」の解説

鳥居清元(初代) とりい-きよもと

1645?-1702 江戸時代前期の浮世絵師
正保(しょうほ)2年?生まれ。初代鳥居清信(きよのぶ)の父。もと大坂歌舞伎の女方だったが,貞享(じょうきょう)4年江戸にうつる。市村座などの看板絵かき,以後鳥居家が江戸の芝居小屋と専属関係をもつ基礎をきずいた。元禄(げんろく)15年4月28日,58歳?で死去本姓近藤通称は庄七。

鳥居清元(2代) とりい-きよもと

?-? 江戸時代後期の浮世絵師。
鳥居家4代清長の門人という。江戸小梅村にすみ,文政-安政(1818-60)のころ作画した。向島牛島神社の額「矢の根五郎」には72歳筆としるされていたといい,長寿だったとおもわれる。通称は金次郎,三郎助。別号に雪光斎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の鳥居清元の言及

【鳥居派】より

…浮世絵の一流派。元禄年間(1688‐1704)から現代に至るまで約300年間,歌舞伎界と密接な関係を保ち,芝居絵,役者絵を専業として家系をつないだ。劇場の絵看板(看板絵)や番付絵,役者姿絵の版画などは,いずれも演目と配役が決まりしだい上演に先立って作画にかかる必要があり,芝居にくわしく歌舞伎界のしきたりに通じていなくては難しい領域であった。鳥居派は役者出身の清元を元祖とするように,因襲的な劇界と関係深く,また草創期の清信,清倍(きよます)が芝居絵に適した独自の様式を確立したこともあずかって,ながく劇界専属の地位を独占し他派の介入をほとんど許すことがなかった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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