鳥居清元(読み)とりい・きよもと

朝日日本歴史人物事典 「鳥居清元」の解説

鳥居清元

生年生没年不詳
江戸前期の浮世絵師鳥居派始祖で,鳥居家の初代当主・清信の父という。本姓近藤。もと大坂の女形役者で鳥居庄七と名乗ったが,画技に長じ芝居の看板を描いていたという。貞享4(1687)年春,清信と共に江戸に下り,難波町に住み,元禄3(1690)年市村座の絵看板を描いて好評を博し,以後他の芝居の絵看板も手がけるようになったという。以上は,鳥居家の伝聞を基に金子伴雨が明治末・大正期にまとめた『鳥居画系譜』によるもので,現在清元の作品は確認されていず,絵看板の歴史と整合しない面もあるので,今後の解明が待たれる。

(浅野秀剛)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鳥居清元の言及

【鳥居派】より

…浮世絵の一流派。元禄年間(1688‐1704)から現代に至るまで約300年間,歌舞伎界と密接な関係を保ち,芝居絵,役者絵を専業として家系をつないだ。劇場の絵看板(看板絵)や番付絵,役者姿絵の版画などは,いずれも演目と配役が決まりしだい上演に先立って作画にかかる必要があり,芝居にくわしく歌舞伎界のしきたりに通じていなくては難しい領域であった。鳥居派は役者出身の清元を元祖とするように,因襲的な劇界と関係深く,また草創期の清信,清倍(きよます)が芝居絵に適した独自の様式を確立したこともあずかって,ながく劇界専属の地位を独占し他派の介入をほとんど許すことがなかった。…

※「鳥居清元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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