朝日日本歴史人物事典 「鴨祐之」の解説
鴨祐之
生年:万治2(1659)
江戸中期の神道家,国学者。本姓は賀茂県主。梨木とも称す。通称は左京権大夫。号は桂斎。祐永を父として山城国愛宕郡(京都市)に生まれた。下鴨神社(京都市左京区の賀茂御祖神社。下賀茂神社ともいう)祠官となり,正三位に叙される。山崎闇斎に学び,垂加神道の第一人者と目された。元禄7(1694)年,下鴨神社の衰微を嘆いて朝廷に請うて,16世紀初めから中断していた葵祭を再興した。著書『大八洲記』『神代和解』など。また国史に通じ,『日本後紀』の残欠を復元しようとして『日本逸史』40巻を著す。墓は京都市上京区の西園寺にある。
(白石良夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報