5月15日に行われる京都市北区上賀茂(かみがも)の賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂神社)、左京区下鴨(しもがも)の賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)両社の祭り。元来、賀茂祭(かもまつり)と称し、平安時代に祭りといえば賀茂祭をさすほど有名であった。また石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)(京都府八幡(やわた)市)の祭りを南祭というのに対して、北祭ともよんだ。現在も石清水祭、春日(かすが)祭とともに三大勅祭の一つ。祭日は、明治以前は4月中(なか)の酉(とり)の日(二の酉の年は下の酉の日)であった。葵祭の名称は、祭員の挿頭(かざし)に葵を用い、神社や家々に葵を飾り、物忌(ものいみ)のしるしとすることに基づくもので、同様の呼称は松尾(まつのお)祭(京都市西京区嵐山(あらしやま)宮町の松尾大社、4月下の卯(う)の日~5月上の酉の日)などにもみられる。
賀茂祭は大宝(たいほう)(701~704)の神祇(じんぎ)令にはまだみえず、嵯峨(さが)天皇の819年(弘仁10)に至って初めて中祀(ちゅうし)に列せられた。しかし、前日(申(さる)の日)に山城(やましろ)国司の行う賀茂国祭は早く698年(文武天皇2)に行われたことが『続日本紀(しょくにほんぎ)』にみえる。『本朝月令(ほんちょうがつりょう)』の引く秦(はた)氏本系帳の説によると、祭りの起源は、欽明(きんめい)天皇朝、暴風雨の害が賀茂神の祟(たた)りによると占われたので、4月吉日を選び、馬に鈴をかけ走駆させ祭ったところ、五穀成就豊年を迎えたことに由来するという。賀茂祭に走馬(はしりうま)の行われるのもこれに基づくという。つまり、本来、秦氏などの鎮斎していた賀茂神が、京都遷都以降、皇城鎮護の神としてしだいに神威を高めるに及び、その祭りも氏神的祭祀から国家的祭祀へと発展し、賀茂祭の形態を形成するに至った。その古姿の名残(なごり)を伝えたのが賀茂国祭であった。
現行の次第は、勅使を中心に検非違使(けびいし)、山城使(づかい)、内蔵(くら)使、舞人などの旧儀による行列が京都御所を出発、高野(たかの)川の葵橋を渡って下鴨神社に到着、勅使の祭文(さいもん)奏上などの祭典があり、神馬(しんめ)の引き回し、舞人の東遊(あずまあそび)奏舞などが行われ、祭馬を疾駆させる走馬(はしりうま)が催される。終わってふたたび行列を整え、賀茂川堤を北上し、上賀茂神社に参向、同様の祭典、催しを行い、夕刻御所に帰還する。古くは、祭り前の午(うま)の日または未(ひつじ)の日に賀茂斎院(さいいん)の禊(みそぎ)の儀が行われ、祭り当日は勅使以下とともに賀茂社に参向した。『源氏物語』葵巻などに描かれている賀茂祭の王朝盛儀の模様は、現行の祭りからも十分にしのぶことができる。
[倉林正次]
(富岡亜紀子 ライター / 2009年)
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賀茂祭ともいい,京都の賀茂別雷(わけいかずち)(上賀茂)神社,賀茂御祖(みおや)(下賀茂,下鴨)神社の両社の例祭。祭りに参加する斎院をはじめ勅使らが葵の蔓(かずら)を身につけることからこの名を称した。古くは旧暦4月中の酉の日に行われていたが,現在は5月15日に行われる。石清水祭,春日祭とともに三大勅祭の一つ。806年(大同1)官祭となり,810年(弘仁1)斎院がおかれ皇女有智子内親王が斎王になって以来,同祭に奉仕するようになった。祭りに先立って,斎王は賀茂川で禊を行い,祭り当日は勅使および東宮,中宮の使とともに両社へ行列を整え参向した。その行装は華麗を極め,京中は観衆で雑踏した。現行の祭儀は勅使以下,早朝京都御所に集まり,御所から下賀茂神社に向かう。同社にて祭典,東遊(あずまあそび),走馬が行われたのち進発,賀茂川の堤を北上して上賀茂神社に到着,同社にて祭典,東遊,走馬の儀があり,終わって御所に帰る。
→御阿礼(みあれ)神事
執筆者:岡田 荘司
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…【堀田 満】
[民俗]
葵は本来アオイ科の植物を意味したが,葉形が類似したウマノスズクサ科のフタバアオイも古くから〈あおい〉と呼ばれてきた。京都の上・下賀茂神社で4月中酉の日(現在は5月15日)に行われる葵祭でも,フタバアオイを,祭りの参加者が挿頭(かざし)花として挿したり,牛車(ぎつしや),桟敷のすだれ,家々の軒などに飾りつける。同じ京都の松尾大社の祭礼にも,このフタバアオイが使われる。…
…葉は抹香に利用される。また京都の葵祭には,フタバアオイとともに枝葉が必ず用いられる。カツラには桂の字が当てられるが,桂は中国では香木の総称で,モクセイを表す場合もある。…
…豊臣秀吉が社領541石を安堵,江戸時代にもその額が維持された。例祭は5月15日の葵祭。古くは4月の中酉日に行われ,16世紀はじめに中断。…
…本殿と権殿は1864年(元治1)の造替で国宝,ほかに1628年(寛永5)の建築が多く,重要文化財になっている。現行の祭礼は葵祭のほか御棚会,夏越祓,相撲神事などである。賀茂御祖(みおや)神社【大山 喬平】。…
…陰暦で4,5,6月だが,一般に陽暦5月上旬の立夏から8月上旬の立秋までの祭礼をいう。平安時代に京都では陰暦4月中の酉(とり)の日(現在5月15日)に行われた賀茂神社の葵祭(あおいまつり)が盛んで,これを〈まつり〉と呼び,やがて〈まつり〉は夏祭の総称となり,俳諧で夏の季語にまでなった。869年(貞観11)に始まったという京都祇園祭(ぎおんまつり)は疫病流行を御霊のたたりとみてこれを神泉苑(しんせんえん)に鎮送する形式だったが,やはり神輿(みこし)洗いや山鉾(やまぼこ)巡幸などの神幸祭に,祓や御霊,虫送りに通じる主旨がある。…
… 平安前期に始まった神幸祭は4月下卯日,還幸祭は5月上酉日で渡御祭には摂末社合わせて7社(大宮,四大神,衣手,三宮,宗像,櫟谷,月読)の神輿が出て桂川の渡河の儀を行う。還幸祭には神輿,供奉員等が葵(あおい)をつけることから葵祭とも呼ばれる。なお,当社所蔵の木造男神像2体,女神像1体は平安初期の優作で,最古の神像彫刻の一つとみられており,ともに重要文化財。…
※「葵祭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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