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葵祭 あおいまつり

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

葵祭
あおいまつり

天皇からつかわされた勅使が京都の賀茂御祖神社下鴨神社)および賀茂別雷神社上賀茂神社)に奉幣する祭り。正式には賀茂祭といい,参列者や社殿,諸用具に葵(フタバアオイ)を飾ることから,葵祭と呼ばれている。

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知恵蔵2015の解説

葵祭

京都三大祭の一つで、京都最古の祭り。正式名称は賀茂祭(かもさい)。賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)の例祭で、毎年5月15日に行われる平安時代以来、国家的な行事として開催されてきており、平安中期の貴族の間では、祭りといえば葵祭のことをさすほど有名だった。また、石清水八幡宮の祭りを南祭というのに対し、北祭とも呼ばれた。壮麗な行事の数々に、毎年多くの見学者が訪れる。
起源は567年と伝えられる。風水害による不作が続き、賀茂の大神を敬う伊吉若日子(いきわかひこ)が占うと、賀茂の神々の祟(たた)りとでた。そこで勅命が下り若日子が4月吉日に祭礼を行うと、風雨はおさまり、豊作になったという。祭りは819年には国家的行事になったが、1467年から77年まで続いた応仁の乱で中止となり、その後1694年にようやく再開。当初「賀茂祭」と呼ばれていた祭りは、この時から「葵祭」と呼ばれるようになった。
祭儀は「宮中の儀」「路頭の儀」「社頭の儀」の三つで構成され、現在行われているのは「路頭の儀」と「社頭の儀」。「路頭の儀」は、勅使や検非違使(けびいし)、内蔵使(くらつかい)、山城使、牛車(ぎっしゃ)、風流傘(ふりゅうがさ)、斎王代など、平安貴族の姿をした人たちが列をつくり約8kmの道のりを進む。京都御所を出発し、賀茂御祖神社へ着き、さらに賀茂別雷神社へと向かう。総勢約500名、さらに馬数十頭、牛、牛車、輿なども加わった大規模な列で、その様は風雅な王朝行列を彷彿とさせる。「社頭の儀」は、行列が賀茂御祖神社と賀茂別雷神社に到着した時、それぞれの社頭で行われる儀式。勅使による御祭文の奏上や御幣物(ごへいもつ)の奉納、さらに、神馬の引き回し、舞人(まいびと)による「東游(あずまあそび)」の舞が奉納される。
また、流鏑馬(やぶさめ)も有名。流鏑馬は祭りの始まった頃は主要な儀式だったが、現在では前儀として葵祭の数日前に行われる。

(富岡亜紀子 ライター / 2009年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

葵祭

五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願って約1400年前、欽明天皇の頃に始まったとされる上賀茂神社と下鴨神社の祭礼。応仁の乱や太平洋戦争などで何度も中断したが再興され、王朝文化を今に伝える。正式名称は賀茂祭(かもさい)。葵の葉を社殿や装束に飾るため、江戸期には葵祭と広く呼ばれるようになった。 平安から鎌倉初期には皇女らが「斎王」として神社に仕え、その代役で1956年から「斎王代」が行列に加わった。保存会が茶道関係者の推薦をもとに、着物を着慣れた京都ゆかりの女性の中から毎年選ぶ。

(2015-05-14 朝日新聞 夕刊 1総合)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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デジタル大辞泉の解説

あおい‐まつり〔あふひ‐〕【葵祭】

賀茂(かも)の祭」に同じ。 夏》「桐の花―はあすとかや/碧梧桐

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百科事典マイペディアの解説

葵祭【あおいまつり】

賀茂祭とも。京都,賀茂両社の例大祭。5月15日(古くは4月中(なか)の酉(とり)の日),勅使以下京都御所に参集し,建礼門から出発し賀茂御祖(みおや)神社に参向して奉斎,次いで賀茂別雷(わけいかずち)神社に参向して奉斎する。
→関連項目京都[市]

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世界大百科事典 第2版の解説

あおいまつり【葵祭】

賀茂祭ともいい,京都の賀茂別雷(わけいかずち)(上賀茂)神社,賀茂御祖(みおや)(下賀茂,下鴨)神社の両社の例祭。祭りに参加する斎院をはじめ勅使らが葵の蔓(かずら)を身につけることからこの名を称した。古くは旧暦4月中の酉の日に行われていたが,現在は5月15日に行われる。石清水祭,春日祭とともに三大勅祭の一つ。806年(大同1)官祭となり,810年(弘仁1)斎院がおかれ皇女有智子内親王が斎王になって以来,同祭に奉仕するようになった。

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大辞林 第三版の解説

あおいまつり【葵祭】

京都市の上賀茂神社と下鴨神社両社の祭礼。祭日はもと、4月の中の酉とりの日。現在は5月15日。平安時代に「まつり」といえばこの祭りを意味するほど盛大であった。牛車ぎつしや・社殿・冠などを葵鬘あおいかずらで飾ったところからいう。賀茂祭。北祭。 [季] 夏。 → 御生みあれ御蔭祭みかげまつり

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

葵祭
あおいまつり

5月15日に行われる京都市北区上賀茂(かみがも)の賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂神社)、左京区下鴨(しもがも)の賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)両社の祭り。元来、賀茂祭(かもまつり)と称し、平安時代に祭りといえば賀茂祭をさすほど有名であった。また石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)(京都府八幡(やわた)市)の祭りを南祭というのに対して、北祭ともよんだ。現在も石清水祭、春日(かすが)祭とともに三大勅祭の一つ。祭日は、明治以前は4月中(なか)の酉(とり)の日(二の酉の年は下の酉の日)であった。葵祭の名称は、祭員の挿頭(かざし)に葵を用い、神社や家々に葵を飾り、物忌(ものいみ)のしるしとすることに基づくもので、同様の呼称は松尾(まつのお)祭(京都市西京区嵐山(あらしやま)宮町の松尾大社、4月下の卯(う)の日~5月上の酉の日)などにもみられる。
 賀茂祭は大宝(たいほう)(701~704)の神祇(じんぎ)令にはまだみえず、嵯峨(さが)天皇の819年(弘仁10)に至って初めて中祀(ちゅうし)に列せられた。しかし、前日(申(さる)の日)に山城(やましろ)国司の行う賀茂国祭は早く698年(文武天皇2)に行われたことが『続日本紀(しょくにほんぎ)』にみえる。『本朝月令(ほんちょうがつりょう)』の引く秦(はた)氏本系帳の説によると、祭りの起源は、欽明(きんめい)天皇朝、暴風雨の害が賀茂神の祟(たた)りによると占われたので、4月吉日を選び、馬に鈴をかけ走駆させ祭ったところ、五穀成就豊年を迎えたことに由来するという。賀茂祭に走馬(はしりうま)の行われるのもこれに基づくという。つまり、本来、秦氏などの鎮斎していた賀茂神が、京都遷都以降、皇城鎮護の神としてしだいに神威を高めるに及び、その祭りも氏神的祭祀から国家的祭祀へと発展し、賀茂祭の形態を形成するに至った。その古姿の名残(なごり)を伝えたのが賀茂国祭であった。
 現行の次第は、勅使を中心に検非違使(けびいし)、山城使(づかい)、内蔵(くら)使、舞人などの旧儀による行列が京都御所を出発、高野(たかの)川の葵橋を渡って下鴨神社に到着、勅使の祭文(さいもん)奏上などの祭典があり、神馬(しんめ)の引き回し、舞人の東遊(あずまあそび)奏舞などが行われ、祭馬を疾駆させる走馬(はしりうま)が催される。終わってふたたび行列を整え、賀茂川堤を北上し、上賀茂神社に参向、同様の祭典、催しを行い、夕刻御所に帰還する。古くは、祭り前の午(うま)の日または未(ひつじ)の日に賀茂斎院(さいいん)の禊(みそぎ)の儀が行われ、祭り当日は勅使以下とともに賀茂社に参向した。『源氏物語』葵巻などに描かれている賀茂祭の王朝盛儀の模様は、現行の祭りからも十分にしのぶことができる。[倉林正次]

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世界大百科事典内の葵祭の言及

【アオイ(葵)】より

…【堀田 満】
[民俗]
 葵は本来アオイ科の植物を意味したが,葉形が類似したウマノスズクサ科のフタバアオイも古くから〈あおい〉と呼ばれてきた。京都の上・下賀茂神社で4月中酉の日(現在は5月15日)に行われる葵祭でも,フタバアオイを,祭りの参加者が挿頭(かざし)花として挿したり,牛車(ぎつしや),桟敷のすだれ,家々の軒などに飾りつける。同じ京都の松尾大社の祭礼にも,このフタバアオイが使われる。…

【カツラ】より

…葉は抹香に利用される。また京都の葵祭には,フタバアオイとともに枝葉が必ず用いられる。カツラには桂の字が当てられるが,は中国では香木の総称で,モクセイを表す場合もある。…

【賀茂御祖神社】より

…豊臣秀吉が社領541石を安堵,江戸時代にもその額が維持された。例祭は5月15日の葵祭。古くは4月の中酉日に行われ,16世紀はじめに中断。…

【賀茂別雷神社】より

…本殿と権殿は1864年(元治1)の造替で国宝,ほかに1628年(寛永5)の建築が多く,重要文化財になっている。現行の祭礼は葵祭のほか御棚会,夏越祓,相撲神事などである。賀茂御祖(みおや)神社【大山 喬平】。…

【夏祭】より

…陰暦で4,5,6月だが,一般に陽暦5月上旬の立夏から8月上旬の立秋までの祭礼をいう。平安時代に京都では陰暦4月中の酉(とり)の日(現在5月15日)に行われた賀茂神社の葵祭(あおいまつり)が盛んで,これを〈まつり〉と呼び,やがて〈まつり〉は夏祭の総称となり,俳諧で夏の季語にまでなった。869年(貞観11)に始まったという京都祇園祭(ぎおんまつり)は疫病流行を御霊のたたりとみてこれを神泉苑(しんせんえん)に鎮送する形式だったが,やはり神輿(みこし)洗いや山鉾(やまぼこ)巡幸などの神幸祭に,祓や御霊,虫送りに通じる主旨がある。…

【松尾大社】より

… 平安前期に始まった神幸祭は4月下卯日,還幸祭は5月上酉日で渡御祭には摂末社合わせて7社(大宮,四大神,衣手,三宮,宗像,櫟谷,月読)の神輿が出て桂川の渡河の儀を行う。還幸祭には神輿,供奉員等が葵(あおい)をつけることから葵祭とも呼ばれる。なお,当社所蔵の木造男神像2体,女神像1体は平安初期の優作で,最古の神像彫刻の一つとみられており,ともに重要文化財。…

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