鶴羽村
つるわむら
津田村の南東、寒川郡の東端に位置し、東は大内郡馬篠村(現大内町)。北は海に面し、集落は津田湾東部から鵜部岬・打伏の鼻を回って青木海岸に至る海辺部と、長見山北麓の緩やかな丘陵地に立地。
海岸に沿って、赤山古墳・けぼ山古墳・うのべ山古墳などの前期古墳がある。これらの古墳はすべて津田湾を俯瞰する丘陵や岬上にあり、さらに付近は水利に乏しく農耕に適さない地域であることから、被葬者は海上交通に従事、またはそれを掌握した豪族と考えられる。安元二年(一一七六)の八条院領目録(山科家古文書)に京都蓮華心院領として「
羽」とみえ、中世には海上交通の要地として栄えた。鵜部岬基部の地層から中世の陶器・輸入磁器などが出土している。「兵庫北関入船納帳」には「鶴箸」と記され、文安二年(一四四五)には鶴箸からの船が延べ四艘、兵庫北関を通過、管領細川氏の京上物大麦や、山崎胡麻を運送している。「閑吟集」に「われは讃岐の鶴羽の者、阿波の若衆に肌触れて、足好や腹好や、鶴羽のことも思はぬ」という歌謡を載せ、鶴羽と阿波の舟航を思わせる。
寛永国絵図には鶴羽庄として大山・鶴羽・津田が合せて高付され高九九二石余。大山はその後鶴羽村に含まれた。また高松城下から当村海浜沿いに馬篠村に抜ける志度街道、鶴羽から相地峠を越えて富田郷(現大川町)に出て阿波に至る道が描かれ、鶴羽から国境まで四里と記されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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