鹿倉吉次(読み)シカクラ キチジ

20世紀日本人名事典 「鹿倉吉次」の解説

鹿倉 吉次
シカクラ キチジ

大正・昭和期の新聞人 元・毎日新聞専務;元・ラジオ東京社長。



生年
明治18(1885)年3月21日

没年
昭和44(1969)年10月23日

出生地
神奈川県中郡

学歴〔年〕
京北中学校中退,慶応義塾大学〔大正2年〕中退

経歴
慶応義塾の学僕をしながら独学、大正3年大阪毎日新聞社に入り、販売部で九州・朝鮮などを担当、また販売店毎日会を作り、12〜13年の大毎・大朝の百万部突破競争に活躍、15年販売部長となった。昭和3年高石真五郎編集主幹について外遊、13年常務・営業局長兼印刷局長、17年専務、戦後21年相談役。公職追放で相談役辞任、25年解除、民間放送計画で足立正、原安三郎らに請われ、朝日、毎日、読売、電通4者合流のラジオ東京(東京放送)出願から26年の創立に活躍、専務となった。同年12月民放ラジオ初開局、足立社長を助け30年テレビ兼営後もキー局として発展に尽くし、35年社長、40年取締役相談役。また毎日新聞最高顧問、全日本放送広告会委員長、民間放送連盟放送政策委員長などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鹿倉吉次」の解説

鹿倉吉次 しかくら-きちじ

1885-1969 大正-昭和時代の経営者
明治18年3月21日生まれ。慶応義塾で事務などの仕事をしながら独学。大正3年大阪毎日新聞社に入社。大阪朝日新聞社との拡販競争で業績をあげ,常務,専務にすすむ。昭和26年ラジオ東京(現TBS)創立とともに専務,35-40年社長をつとめた。昭和44年10月23日死去。84歳。神奈川県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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