涅槃図(読み)ネハンズ

デジタル大辞泉 「涅槃図」の意味・読み・例文・類語

ねはん‐ず〔‐ヅ〕【××槃図】

釈迦沙羅双樹さらそうじゅの下で入滅する情景を描いた図。一般に、釈迦が頭を北、顔を西、右脇を下にしてし、周囲に諸菩薩ぼさつ仏弟子・鬼畜類などが集まって悲嘆にくれるさまを描いたもの。涅槃絵

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精選版 日本国語大辞典 「涅槃図」の意味・読み・例文・類語

ねはん‐ず‥ヅ【涅槃図】

  1. 〘 名詞 〙 釈迦臨終の情景を主題とした絵画涅槃会本尊とする。高野山金剛峯寺の応徳三年(一〇八六)の年記のある図が現存最古。涅槃絵。《 季語・春 》
    1. [初出の実例]「病人が寝かしてある。家族の男女が三四人、涅槃図(ネハンヅ)を見たやうに、それを取り巻いてゐる」(出典カズイスチカ(1911)〈森鴎外〉)

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改訂新版 世界大百科事典 「涅槃図」の意味・わかりやすい解説

涅槃図 (ねはんず)

釈尊の肉体的な死を表した絵画。彫刻で表した涅槃像もある。涅槃は釈尊の一生の中での重要事跡として釈迦八相などの一つにとり上げられ,インドでも早くから造形美術の対象とされてきたが,大乗仏教においては釈尊の死は精神的に昇華され,仏身あるいは仏法の永遠性を象徴する事跡として一段と重んぜられ,涅槃図は仏教絵画の中の代表的主題の一つとなった。涅槃図の典拠となったのは,5世紀に漢訳された《大般(だいはつ)涅槃経》のほか,同経に後世付加された〈大般涅槃経後分〉などであり,これらによって涅槃図の構成および登場人物が説き示される。このような状況を反映して涅槃の造形美術は大乗仏教下のインドをはじめ中央アジア,敦煌,中国本土に盛んに行われ,インドやその周辺では浮彫像や彫像を主体とするが,中央アジアから中国本土にかけては壁画(涅槃像のみ塑造とする例もある)による作例が少なくない。一般的に古いものほど構成が簡略で会衆が少ないが,時代とともに会衆の数も増加する傾向がみられる。ことに中国では6世紀以降涅槃教学が隆盛をきわめたため,造形美術の面にも影響するところが大きく,唐代寺院の壁画に涅槃変を描く例が少なくないが,その図相は明らかでない。

 このような情勢下において日本でも法隆寺五重塔下に塑造の涅槃変が作られたことは注目される。また遺品には恵まれないが,奈良時代の末ころから東大寺,興福寺,石山寺などで涅槃図(あるいは涅槃像)の制作が行われ始めた。現存最古の涅槃図は応徳3年(1086)の年記を有する高野山金剛峯寺本で,平安時代を代表するもの。続いて1111年(天永2)創建の兵庫,鶴林寺太子堂壁画,奈良達磨寺本,新薬師寺本などがある。鎌倉時代にはさらに多くの涅槃図が伝存するが,平安時代のものに比して動物を含む会衆が多いなど構成を異にするほか,周囲に釈迦の伝記や涅槃後の事跡を加えた八相涅槃図と俗称される作品なども作られた。なお釈尊が涅槃に入って直後,天界よりくだった仏母摩耶夫人の前に再生し最後の説法を行う情景を描いた釈迦金棺出現図がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「涅槃図」の意味・わかりやすい解説

涅槃図
ねはんず

釈迦入滅の場面を描いた図で、涅槃会の本尊として用いられる。現存する、わが国最古の涅槃図は1086年(応徳3)の金剛峯寺本で、それに続くものとして東京国立博物館本や和歌山県浄教寺本などが平安時代末期から鎌倉時代初期の作として知られる。鎌倉時代後期以降の作として愛知県甚目寺(じもくじ)本や和歌山県長保寺本などがある。前者は横長または正方形に近い画面で、会衆人物が少なく、穏やかに表現される。後者は画面が縦長くなり、沙羅双樹も丈高く表し、会衆人物や鳥獣虫類が数多く、悲嘆の様子も強調される。

 なお香川県與田寺(よだじ)本は横長の画面に会衆人物・鳥獣類が数多く、折衷形式である。この他には八相(はっそう)涅槃図と称し、涅槃前後の出来事を描き加えた図も制作された。

 中国・南宋~元時代の涅槃図には陸信忠筆・奈良国立博物館本や周四郎筆の愛知県中之坊寺本が知られる。涅槃図の多くは『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』、『仏般泥洹経(ぶつはつないおんぎょう)』などに基づくものとみられる。

[武田和昭]

『中野玄三著『涅槃図』(『日本の美術268』・至文堂)』

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百科事典マイペディア 「涅槃図」の意味・わかりやすい解説

涅槃図【ねはんず】

釈迦の涅槃を描いた図で,涅槃会(ねはんえ)に用いられる。ガンダーラ美術以来仏伝図の一主題として描かれた。沙羅双樹の下に横たわる釈迦を囲んで諸菩薩をはじめ一切の生類(しょうるい)が嘆き悲しむさまと,摩耶夫人(まやぶにん)が天界から降下する姿が普通の構図である。金剛峯(こんごうぶ)寺蔵の仏涅槃図(1086年)が代表例。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「涅槃図」の意味・わかりやすい解説

涅槃図
ねはんず

釈迦の涅槃すなわち入滅 (死) の情景を表わした図。双樹下の宝座に北を枕にし,右脇を下にして横臥する釈迦を取囲んで,菩薩,天部,弟子,大臣などのほか,鳥獣までが泣き悲しんでおり,樹上には飛雲に乗って,臨終にはせ参じようとする仏母摩耶夫人の一行が描かれているのが一般的な図様である。日本では平安時代以降,涅槃会の盛行に伴ってその本尊である涅槃図が制作され,なかでも高野山金剛峰寺の応徳3 (1086) 年銘のものが最古のすぐれた遺品。以後,鎌倉時代を中心に大小多数の遺品が残る。

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世界大百科事典(旧版)内の涅槃図の言及

【涅槃】より

…釈迦がクシナガラにおいて涅槃に入る(死ぬ)前後の状況を詳しく説いたのが,漢文《長阿含経》中の《遊行(ゆぎよう)経》,およびパーリ語経典中の《大涅槃経Mahāparinibbāna‐suttanta》などである。これらのとくに漢訳の経典に基づいて広く描かれたのが〈涅槃図〉で,そのなかには釈迦の涅槃をめぐるさまざまな伝説が描き加えられている。また,大乗経典中には同じような名称の《大般(だいはつ)涅槃経》が存在するが,その内容は上記の2経とはまったく異なり,〈仏身常住(ぶつしんじようじゆう)〉(悟りを開いた仏の身体は法として永遠に存在する),〈悉有仏性(しつうぶつしよう)〉(すべての人間は仏となりうる可能性を有している)などを強調している。…

※「涅槃図」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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