改訂新版 世界大百科事典 「麵類」の意味・わかりやすい解説
麵類 (めんるい)
うどん,そばなどのように小麦粉,そば粉などをこねて細長い線条に切った食品の総称。中国ではもともと〈麵〉は小麦粉のことで,小麦粉を水その他でこねたものは〈餅(へい)〉と呼ばれた。ヨーロッパでパスタ,ペースト,などと呼ぶのが餅に相当する。その餅は加熱のしかたによって,蒸したものを蒸餅(じようへい),焼いたものを焼餅(しようへい),ゆでるのを湯餅,油で揚げるのを油餅(ゆへい)といった。この中の湯餅が現在のめん類の祖先で,唐代にはその一種にこね粉を平たく打って刻んだ剪刀麵(せんとうめん)があり,宋代にはそうした刻んだものを切麵(せつめん),略して単に〈麵〉と呼び,蒸餅,焼餅,油餅を総称した〈餅〉と対置されるまでになった。現在日本でうどん,そば様のものをめん類と呼ぶのは,このあたりに起源をもっている。
世界的に見て,小麦粉をうどんにして食べるのは中国,朝鮮,モンゴル,日本に限られるという。ヨーロッパにはスパゲッティ,マカロニなどがあるが,それらも中国に学んだものといい,めん類は中国に発祥した包丁とまないたを使う文化の所産といえるようである。
日本では室町時代になって,うどん,そうめん,切麦(きりむぎ)の名が現れる。切麦はうどんの細いもので,冷やして食べるのを冷麦(ひやむぎ),熱くして食べるのを熱麦(あつむぎ)といった。〈蒸麵(むしむぎ)〉という名もあり,これは蒸したうどんとされている。そうめんを煮たものは〈にゅうめん〉と呼ばれるが,これは〈煮麵〉〈入麵〉と表記された。そばのめん,つまり,そば切りは江戸時代初頭に初めて姿を見せるが,やがて小麦粉などをつなぎに用いるようになって普及し,うどんと並ぶものとなった。江戸後期,うどん,そばを売る店は三都ともにきわめて多く,江戸では1~2町に1軒はあったという。それらの店を江戸はそば屋といい,京坂ではうどん屋と称し,京坂では店先に〈麵類処(めんるいどころ)〉と書いた行灯をつるすと《守貞漫稿》は記している。
→うどん →そうめん →ソバ
執筆者:鈴木 晋一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報