小麦粉でつくるめん類の一種。名称は奈良時代に中国から渡来した唐菓子の餛飩(こんとん)からの転化で,いつの間にか饂飩,温飩と書かれ,〈うんどん〉〈うどん〉と呼ばれるようになったが,中身は別物である。近世に饂飩といったのは中国の切麵(せつめん)で,日本の切麦(きりむぎ)にあたる。切麦はうどんより細く切るのが特徴で,熱くしたものを熱麦(あつむぎ),冷やしたものを冷や麦といい,そうめんと同じく点心のほか饗膳(きようぜん)の後段(ごだん)にも供された。語源の推移から餛飩を饂飩の元祖だとする説が根強いが,手法と形からみて,むしろ餺飥(はくたく)(音便ほうとう)がうどんの祖型である。餺飥は薄い餅の意で,原始的な製法は小麦粉をこね,両手の指でもみながら親指ほどの太さにし,約5cmずつに切り,さらに指もみをしてごく薄くのばし,熱湯に入れて煮る。手のひらでおすので掌托といったが包丁やめん板を使うようになると,掌托の必要がなくなり不托と呼んだ。日本における掌托の法には,団子汁(だごじる)(大分県),ひんのべ,ぶっこみ(長野県)などがあり,〈ほうとう〉(山梨県郡内地方),〈ほうちょう〉(宮崎県日向地方)も餺飥から出た名である。みそ汁や小豆汁に入れて煮込んだりする。
うどんは江戸時代に入って広く普及し,ことに関西で愛好され,京坂ではうどん屋が増えた。京都では,1676年(延宝4)ごろから豆腐,ワラビ餅とともにそば,うどんの夜売りが始まったが,後にめん類の夜売りを〈夜啼(よなき)饂飩〉といった。黒川道祐の地誌《雍州(ようしゆう)府志》によれば,京都の著名な菓子司である虎屋,二口屋などもめん類をつくり,好評を得ていたことがわかる。また,めん類所の丸屋,長浜屋のほか,日野屋の桶うどんは数十町先へ出前しても冷めなかったという。地方では,東海道の芋川の立場(たてば)(現,愛知県刈谷市若松町逢見)の平うどんの評判が高く,干しうどんは近江の日野,羽後の稲庭(いなにわ),下総の行徳が有名であった。とくに秋田県湯沢市の旧稲川町稲庭の平うどんは,江戸時代からの名声をいまも保っている。変りうどんには,卵,ヤマノイモ,葛粉(くずこ),ケシの実,片栗粉,モロコシなどを加えて,卵(蘭)めん,薯蕷(しよよ)めん,葛めん,ケシめん,片栗めん,トウキビめんなどがつくられた。いまでも,うどんは関西が優れ,大阪うどん,讃岐うどん,関東では水沢うどん(現群馬県渋川市,旧伊香保町)が知られている。
家庭で干しうどんをゆでる場合は,なべに湯をたっぷり用意し,まず塩を一つまみ入れ,束をほぐしながら落とす。ゆでている途中で吹きこぼれそうになったとき,さし水をし,2回して,不透明なしんが少し残っている程度で火を止め,蒸らしておく。次にざるにとって湯をきり,清水によくさらす。玉うどんなら熱湯に一度通してから用いる。
関東の〈かけうどん〉は濃口(こいくち)しょうゆ,関西の〈素(す)うどん〉は淡口(うすくち)しょうゆを使い温めたうどんに熱いつゆ(関西は,だし)をかけたもので,昔はコショウ,梅が決りだったが,現在は刻みネギ,七味トウガラシを薬味にする。これを台にして,さまざまな具を加え,しっぽく,玉子とじ,きつね(しのだ),あるいは葛あんやカレー粉をひいて,あんかけ,かきたま,カレーなどの種物をつくる。関西では,しっぽくのあんかけを〈あんぺい〉,玉子とじを〈けいらん〉と呼んだ。かま揚げは,ゆでたうどんをそのまま湯を張った器に移したもので,これをおおぜいで囲んで食べる場合は,地方によって〈ひきずり〉〈ずりあげ〉〈千本づき〉〈たらい〉などと名称が異なる。小田巻(おだまき)は茶わん蒸しの具にうどんを加えたもので,やや濃いめの味の卵汁を使う。なべ焼きうどんは1864年(元治1)すでに夜売りされており,この豪華版が京都河道屋の〈芳香炉〉,大阪の美々卯(みみう)の〈うどんすき〉である。
執筆者:新島 繁
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…うどん,そばなどのように小麦粉,そば粉などをこねて細長い線条に切った食品の総称。中国ではもともと〈麵〉は小麦粉のことで,小麦粉を水その他でこねたものは〈餅(へい)〉と呼ばれた。…
※「饂飩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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