( 1 )持ち運びが出来る灯火という意味の「行灯」の名で、中国から伝わったが、その後、持ち歩くものは「提灯(ちょうちん)」となり、固定して使うものが「行灯」の名で呼ばれた。
( 2 )語形は、当初、唐宋音に由来するアンドンであったが、トン(灯)がアン(行)ほど使われない音だったためか、近世期、アンドウ・アンドの形が優勢になった。明治以降は、再びアンドンが一般的となる。
油用灯火具の一類。灯台(ともしだい)が油皿を台上におくのみで裸火をともすのに対して,行灯は油皿の周囲に立方形や円筒など形の框(わく)を作り,これに紙をはり,風のために灯火が吹き消されたりゆれ動くのを防ぐように,火袋(ひぶくろ)を装置した灯火具の総称である。〈行灯〉の文字は地方によっては〈あんど〉とも〈あんどう〉とも読まれている。〈あんどん〉と読むのは宋音で,室町時代に禅家によってひろめられた言葉であり,中国でも日本でも携行用の灯火という意味で使われた。当初は立方形の框に紙をはり,その底板に油皿をおき,上部に取っ手をつけ,手にさげて持ち歩いたが,江戸時代にはいって,携行用の灯火としてろうそくをともす手燭や提灯が普及するにおよんで,屋外に行灯を持ち歩くことはすたれた。しかし灯台にかわって,行灯は室内その他にすえておく灯火具として使用されるようになり,それぞれの用途にしたがって多くの種類に分化した。
行灯が大いに普及,発達したのは江戸時代である。まず在来の手さげ行灯のほかに,置行灯,掛行灯,釣行灯,辻行灯など多くの種類を生んだ。手さげ行灯は一般に小型の立方体あるいは円筒体で,手さげ装置をつけた行灯である。これには角形の有明行灯や筒形の火の見行灯のほかに,鉄網製の土蔵行灯や鉄製透彫りの風雅な路次行灯などがある。置行灯には,座敷の照明に用いられた座敷行灯や,店先において看板,広告に利用された店先行灯などがある。座敷行灯には長方体の角行灯や円筒体の丸行灯をはじめ,その火袋の形態がナツメ形,ミカン形,ウリ形のものや,火袋の紙のかわりに鉄網をはった網行灯や,脚部の1本竿のもの,2本竿のもの,あるいは木製くり抜き細工の脚を付けたものなどがある。座敷行灯は上部に取っ手を装置し,持ちはこぶことができた。店先行灯には座敷行灯のように畳の上におくものと,辻行灯のように地上におくものとがある。いずれも紙ばりで,看板,広告のために,これに絵や字を書いている。掛行灯には,座敷や廊下などの柱に掛けて照明に使用するもの,玄関,店先,屋台などに掛けて看板,広告に用いるもの,社寺の参道,境内などに掛けて灯籠がわりに用いる地口(じぐち)行灯などがある。掛行灯には形態の変わったものや,絵画,文字を書いたものが多い。釣行灯の小型のものは古くからの釣灯籠の形式を受け継いだものが多いが,この類には回り灯籠のような巧妙なものや,湯屋,寄席,居酒屋など多数の人の集まる場所で使用した大型の八間(はちけん)などがある。辻行灯は街路の照明のために辻におかれた一種の街灯で,火袋の上部に屋根を作り,台部は4本脚に作られていた。吉原遊郭内に建てられていた誰哉(たそや)行灯も一種の街灯であった。
行灯の内部には油皿をおき,これにナタネ油などの植物性油をつぎ,灯心を入れて点火したが,この油皿の中の灯心をおさえ,また灯心をかき立てるために,搔立(かきたて)というものが用いられ,これには金属製や陶製の種々な形態のものがあった。また灯心を皿の中央に立てるようにくふうした秉燭(ひようそく)とよぶものが作られたが,これはふつうの油皿よりも火のもちがよく,しかも油が皿裏にまわることもないので,多く掛行灯などに使用された。油皿は古くは路次行灯のように底板におかれたが,小堀遠州が丸行灯を作って以来,火袋の中央に蜘手(くもで)を設けて,ここに油皿をおいたという。丸行灯,角行灯の油皿はおおむねこの式の装置である。また行灯下部の台上には一般に油差しをおき,台部には小引出しを設けて,ここに灯心,付木(つけぎ),発火具などを入れるようにしてある。行灯は江戸時代を通じて最も多く使用された重要な灯火具であった。明治時代にはいりランプが広く使用されるようになっても,安全と経済のうえから寝室などの常夜灯として,あるいはこれに石油のカンテラをともしたりして,一般には明治半ばすぎまで,場所によっては大正時代にはいり電気の点灯される直前まで,ながく使用されていた。
執筆者:宮本 馨太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
油用灯火具の一種。底板に油皿(あぶらざら)を置き、その周囲に角形または丸形の枠をつくり、これに紙をはって火袋とし、灯火が風で消えたり、揺れ動くのを防ぐようにした灯火具の総称。「アンドン」の語は「行灯」の宋(そう)音で、室町時代に禅家によって広められ、携行用の灯火という意味で使われた。
初めは、角形の枠に紙をはり、底板に油皿を置き、上部に取っ手をつけ、携行用の灯火具として用いられたが、江戸時代に入ると、ろうそくをともす手燭(てしょく)、提灯(ちょうちん)が普及するに及んで、屋外に行灯を持ち歩くことは廃れた。しかし、灯台にかわって、行灯は、屋内その他に据え置く灯火具として使用されるようになり、用途にしたがって、構造も多種多様の型が生まれた。手提(てさげ)行灯には、筒形の火の見行灯のほか、鉄網(かなあみ)製の土蔵(どぞう)行灯、鉄製透彫りの風雅な路地行灯があり、置(おき)行灯には、座敷の照明に用いられた丸形、角形、なつめ形などの座敷行灯のほか、店先に置いて看板、広告に利用された店先行灯などがあった。有明(ありあけ)行灯も座敷行灯の一種で、寝室の枕元(まくらもと)などに終夜ともし続ける特殊の行灯である。また、掛(かけ)行灯には、座敷、廊下などの柱にかけて照明に用いるものや、玄関、店先、屋台などにかけて看板、広告に用いるもの、社寺の参道などにかけて灯籠(とうろう)がわりに用いる地口(じぐち)行灯などがある。釣(つり)行灯には、古来の釣灯籠の形式を受け継いだものや、回(まわり)灯籠のようなものをはじめ、湯屋、寄席(よせ)、居酒屋などで使用した比較的明るい大形の八間(はちけん)(八方(はっぽう))などがある。辻(つじ)行灯は街路の照明のために置かれたが、吉原遊廓(よしわらゆうかく)内に立てられていた誰也(たそや)行灯もこの種の街灯であった。
行灯の平均の明るさは0.2~0.5燭光(しょっこう)で、現在の10ワットの電球の7分の1の明るさであった。行灯は江戸時代を通じてもっとも多く使用された重要な灯火具であったが、ランプなどが広く使用されるようになった明治なかば以後、まったく廃れた。
[宮本瑞夫]
『宮本馨太郎著『燈火――その種類と変遷』(1964・六人社)』
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…〈ぼんぼり〉は〈ほんのり〉の語の転訛で,灯火を紙や布の火袋(ほぶくろ)でおおい,火影のほのかにすいてさだかならぬをいったという。〈ぼんぼり〉は,はじめ広く灯火,茶炉(さろ)などに取りつけたおおいのことであったが,ついで小型の行灯(あんどん)をいうようになり,後にはもっぱら紙・布などをはった火袋を取りつけた手燭(てしよく)または燭台を呼ぶようになった。手燭や燭台はろうそくを用いる灯火具で,普通には灯台のように裸火をとぼしたが,その炎が風のためにゆり動かされ,吹き消されたりするのを防ぎ,かつ失火のわざわいを避けるために,行灯のようにこれに火袋を取りつけた〈ぼんぼり〉が考案された。…
※「行灯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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