ウドン

デジタル大辞泉 「ウドン」の意味・読み・例文・類語

ウドン(Oudong)

カンボジア中南部、コンポンスプー州の都市。首都プノンペンの北西約40キロメートルに位置する。プノンペン遷都以前の1620年から1866年までクメール王国の王都。ウドンの丘の上にチェイ=チェッタ2世をはじめ、歴代の王が建てた仏塔が残っている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウドン」の意味・わかりやすい解説

うどん
うどん / 饂飩

小麦粉食塩水でこね、薄く延ばして細長く切った麺(めん)の一種。奈良時代に中国から唐菓子として初めて渡来したが、それは、小麦粉の団子に餡(あん)を入れて煮たもので、形が不定形なので混沌(こんとん)といった。のちに食偏にかえて餛飩(こんとん)となり、また温飩(うんどん)となった。もっとも日本でいう饂飩は、伊勢貞丈(いせさだたけ)も指摘するように切麦(きりむぎ)であり、その源流はむしろ同じ中国の水引餅(すいいんへい)(引きのべうどん)に求めることができよう。切麦は熱麦(あつむぎ)・冷麦(ひやむぎ)の2種があったが、現在は熱麦の語は失われている。平安朝の大宮人は温飩を「ぞろ」または「ぞろぞろ」と親しみやすいことばでよんでいた。温飩ということばは平安時代からあり、やがて温飩から饂飩と転じるのだが、それには約100年の年月がかかっている。室町時代にうどんの名称が出てくるが、いまでも地方のどこかに「うんどん」の名称が残っているだろう。大正時代に、山中の茶店で「んどん」と書いた文字が見られたが、これはうんどんと読ませるのであろう。江戸初期に大坂ではうどん屋ができて、まもなくそばを兼業し始めた。うどんが主でそばが従だから「うどんそば」の看板が見られた。江戸でもうどん屋がそばを従としていたが、そばの売れ行きがいいので、やがてそばが主となり、「そばうどん」の看板が用いられるようになった。

河野友美多田鉄之助

古い中国のうどん

うどんの歴史の古いのは中国である。イタリア名物のマカロニは、13世紀にマルコ・ポーロが元(げん)朝を訪れてうどん作りの秘法を会得して帰り、つくりあげたという説もある。中国のうどんの始まりは、『漢書(かんじょ)』の「百官表」に「小府屈有湯官、主餅餌買餅」とあるので、だいたい2000年前の漢時代とみてよかろう。下って魏晋(ぎしん)の時代には、広く知れわたって流行物となった。『語林』に、「魏文帝が何晏(かあん)という人に熱湯餅(とうへい)を賜う」という記録が出ている。そのころうどんを湯餅といっていたが、まもなく「不托(ふたく)」に変わっている。うどん粉をこねて手のひらの上に托して丸め、長形の団子にしてゆでたものが湯餅であるが、棒で延ばしてから包丁で切るようになってからは、手を借りないでつくるのだから「不托」という名称にした、といわれている。湯餅の名はその後も使われている。

[河野友美・多田鉄之助]

うどんの作り方

国産の優秀な小麦粉を使えば、手打ちうどんの味は一段とよくなるが、2005年(平成17)現在、約86%の小麦粉は輸入である。うどんをつくるには、小麦粉1キログラムに薄い塩水カップ1杯半を加えてこねる。これを杵(きね)で搗(つ)くか、茣蓙(ござ)などに包んで足で踏むかしてよくならし、麺板(めんばん)にのせ、麺棒で延ばしてから切る。今日では機械製麺してゆでた「ゆでうどん」、乾燥させた「干しうどん」が一般的である。

[河野友美・多田鉄之助]

うどんの郷土色と種類

うどんを名物とする郷土料理の数は多い。地名を上につけての讃岐(さぬき)うどん(香川県)はよく知られ、いまでも全国的に店を出したり、麺を販売したりしている。名古屋の「きしめん」も有名だが、この名称のおこりには諸説がある。殿様に献上のため雉(きじ)肉を加えたのが「きじめん」で、かわりに油揚げを用いて名前だけは「きしめん」としたという説、紀州の人が作り方を教えたので「きしゅうめん」といったのが、「きしめん」に転じたという説などがある。これは平打ちのうどんでひもかわともいう。皮紐(ひも)に似ているなら、「かわひも」というべきであろうが、「ひもかわ」というのはおかしいと、江戸の作家柳亭種彦(りゅうていたねひこ)はその随筆集『用捨箱』のなかで論じており、愛知県刈谷市芋川(いもかわ)のうどんの意であろうとの説も取り上げている。

 群馬県前橋地方には「切り込み」という郷土料理がある。この地方の地粉が優秀なので、秋から冬にかけてよくつくられる。小麦粉に水を加えてこね、よく延ばし、できるだけ薄くして幅1センチメートルの短冊形に切る。これは一種のうどんである。まず煮干しのだし汁を調味し、その中にサトイモダイコン、インゲン、ネギ、油揚げなどを入れて煮、うどんを加え、さっと煮てから火から下ろし、蒸らして食べる。山梨県の「うどん飯」は、うどんを煮込んでその中に飯を加えたもので、この地方の味は格別である。武田(たけだ)汁の名前のうどん料理も山梨県のものだが、これは「ほうとう」の名のほうが一般に知られている。岐阜県の郷土料理の「煮ごみ」は煮込みの意である。煮だし汁に赤みそ、手打ち生うどん、鶏肉、油揚げを入れて弱火で煮込み、下ろすときにネギを加える。この料理には土鍋(どなべ)を用いるとよい。大阪の「うどんすき」は、うどんと具を煮ながら食べる鍋物の一つで、その名は美々卯(みみう)という業者が所有しているが、これに類したものはあちこちでつくられている。また大阪の「素うどん」は、何も種(たね)を加えないでうどんの美味を味わおうというものである。関東の「鍋焼きうどん」も有名で、全国に行き渡っている。関東の「力うどん」、関西では「かちんうどん」と称して、かけうどんに餅(もち)を加えたものも人気がある。うどんを製するとき食塩が必要とされるのは、小麦粉中のタンパク質よりグルテンを形成する際、食塩が粘性を高めるからである。つまり麺の切断を防止するのに役だつ。

[河野友美・多田鉄之助]

『アスペクト編『至宝の伝統食4 うどん』(2000・アスキー、アスペクト発売)』『旭屋出版編集部編『うどん大全――うどん打ちの奥義、うどんの魅力を知る。』(2006・旭屋出版)』



ウドン(カンボジア)
うどん
Udong

カンボジア中南部、コンポン・スプー州の町。首都プノンペンからトンレ・サップ川を約40キロメートルさかのぼった同川右岸に位置する。1620年チェイ・チェッタ2世により建設され、1866年プノンペンに移るまでクメール王国の首都であった。クメール王の宮殿跡や墓が残っている。

[菊池一雅]


ウドン(Jean-Antoine Houdon)
うどん

ウードン

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普及版 字通 「ウドン」の読み・字形・画数・意味

鈍】うどん

のろい。拙。宋・舜欽〔夜、秋声を聞く~〕詩 俎豆(そとう)の事をてんと欲し 強ひて孫ふ 鈍爲すべからず 屈曲性亦た

字通「」の項目を見る

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百科事典マイペディア 「ウドン」の意味・わかりやすい解説

うどん(饂飩)【うどん】

麺(めん)類の一種。小麦粉に塩を少量加え,水でこねて薄く打ちのばして細く切る。江戸時代に広く普及し,関西ではとりわけ愛好された。熱湯でゆで,これを煮汁に入れたかけうどん,油揚げとネギを入れたきつね,てんぷら,かまぼこなどを入れ小さな土なべで煮るなべ焼きうどんなどがある。また乾燥した干うどん,幅を広めに作ったひもかわ(棊子麺(きしめん)),細めに作った冷や麦(ひやむぎ),素麺(そうめん)などがある。
→関連項目讃岐うどん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウドン」の意味・わかりやすい解説

うどん

饂飩。小麦粉を食塩水と練り合せ,線状に切出しためんの一種。製品としては乾燥した干しうどん,生うどん,ゆでて玉にした玉うどんなどがある。1日の食事が2回であった頃,点心として用いられたが,もとは大和朝時代 (8世紀) に中国から輸入された唐菓子の一種,こん飩 (こんとん) から発したものらしい。平安・鎌倉時代に発達し,あつものに次いでよく用いられ,江戸時代初期に出た『料理物語』にはうどんとして,その製法も詳しく書かれている。ひもかわ,きしめん,冷麦,そうめんもめんの太さが違うだけで,材料と製法はほぼうどんと同様である。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ウドン」の解説

ウドン
Udong

後アンコール期カンボジアの王都の一つ。プノムペンの北方約30km,トンレサープ川西岸に位置する。17世紀のウドンは,河港ポニェルーを通じてトンレサープ湖周辺域とプノムペンを結び,交易活動によって繁栄した。19世紀前半には,ベトナムが支配するメコン下流部を避けて,タイ湾の海港コムポートが開かれ,ウドンと結ぶ陸路が建設された。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

日本文化いろは事典 「ウドン」の解説

うどん

うどんとは、小麦粉に少量の塩水を加え、こねたものを麺状にした日本有数の麺食品です。茹でてつゆにひたして食べたり(つけ麺)、カツオだしと醤油で味付けしたかけ汁(かけ麺)で食べます。香川県の讃岐うどんが全国的に有名です。

出典 シナジーマーティング(株)日本文化いろは事典について 情報

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