黒手組(読み)くろてぐみ(その他表記)Crna ruka セルビア・クロアチア語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒手組」の意味・わかりやすい解説

黒手組
くろてぐみ
Crna ruka セルビア・クロアチア語
Black Hand 英語

セルビアの民族主義的な秘密組織。黒手組は俗称、正式名は「統一か死か」。1911年、セルビアの現状に不満をもつ軍人中心にして結成された。セルビア陸軍大佐でアピス(古代エジプトの聖牛の意)とよばれるディミトリエビチDragutin Dimitrijević-Apis(1876―1917)が指導者。秘密保持のため、入会に際しては謎(なぞ)めいた儀式があり、37条に及ぶ規約をもっていた。それによると、黒手組の目的は全セルビア人の統一、すなわち大セルビア主義の実現であった。サライエボ事件で、オーストリア帝位継承者のフェルディナント大公夫妻を射殺したボスニアの一青年プリンツィプGavrilo Principは、この組織の一員とされることが多い。しかし彼が属していたのは「青年ボスニア」という集団であり、南スラブ人の解放と統一とを唱えていた。1917年、アピスは摂政(せっしょう)アレクサンダル暗殺を計画したとの理由で逮捕され、テッサロニキの軍事法廷で死刑に処せられ、黒手組も解体した。

[柴 宜弘]

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デジタル大辞泉プラス 「黒手組」の解説

黒手組

20世紀初頭のセルビアで組織された民族主義的秘密結社。正称は「統一か死か」。1911年、全セルビア人の統一を目標に掲げ、陸軍大佐ディミトリエビチを中心に結成。1917年、ディミトリエビチが摂政暗殺を計画したとして逮捕・処刑され、同年解体。

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世界大百科事典(旧版)内の黒手組の言及

【サラエボ事件】より

…この最後通牒によると,1908年末にセルビアで組織された〈ナロードナ・オドブラナ(民族防衛団)〉がその背後団体だとされた。しかし,刺客に武器を供与するなどの援助をしたのは,大セルビアの実現を目指す秘密組織〈統一か死か(黒手組)〉であった。プリンツィプがこの組織のメンバーとされることが多いが,その可能性は薄い。…

※「黒手組」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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