ティグラト・ピレセル(3世)(読み)てぃぐらとぴれせる

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ティグラト・ピレセル(3世)
てぃぐらとぴれせる
Tukulti-apil-ešarra Ⅲ
(?―前727)

沈滞傾向にあった帝国を一躍一大勢力に再興させた新アッシリアの王(在位前745~前727)。元来、将軍地位にあった彼は、王位につけられたのち、まず税制、地方総督制、軍備などの国内問題を整備し、それを基礎に征服政策に乗り出した。バビロニアウラルトゥシリアパレスチナイスラエルの南北両王朝とも彼に服属した)などを征服し、紀元前729年にはプルPuluと称してバビロニアの王としても即位した。彼はふたたび首都をカルフに定め、その宮殿を種々の碑文やレリーフで飾った。そこには戦争の場面のほか、狩猟図やわずかの祭儀図も見受けられるが、彼のひととなりを明確に示すものはない。

[月本昭男]


ティグラト・ピレセル(1世)
てぃぐらとぴれせる
Tukulti-apil-ešarra Ⅰ
(?―前1077)

トゥクルティニヌルタ1世(在位前1244~前1208)のあと、弱体化した帝国を再興させたアッシリアの王(在位前1115~前1077)。彼は南部アルメニアや南メソポタミアを軍事的に征服したのみならず、新たな開墾などを奨励することによって経済を立て直した。芸術学問を保護し、また、それまでバビロニアに依存していた書記学校をアッシリア独自のものとして発展させるなどして、文化政策をも推進させた。

[月本昭男]

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百科事典マイペディア の解説

ティグラトピレセル[3世]【ティグラトピレセル】

アッシリア王(在位前744年―前727年)。衰えたアッシリアを再興,バビロニア,アルメニア,シリア,アラビアを征服,史上最大の版図をもたらした。行政,税制,軍制の諸改革のほか,首都カルフ(現ニムルド)の改造事業でも知られる。

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世界大百科事典(旧版)内のティグラト・ピレセル(3世)の言及

【アッシリア】より

…前3千年紀以来のアッシリア商業の伝統が,前2千年紀後半のこの中期アッシリアに至って強烈な軍国主義と結びつき,新交易路の開拓と領土拡大が連動したのである。しかし王の死後はティグラトピレセル1世Tiglath‐pileser I(在位,前1115‐前1077)の地中海やワン湖にまで進出した軍事的・経済的成功を除いて,アッシリアはふたたび長い雌伏期に入り,西方諸民族,ことにアラム人や東方の山岳民族ルルビの侵入・圧迫に苦しみ,その領土はティグリス川流域の狭い地域に縮小した。
【前1千年紀】

[新しい帝国の誕生]
 前1千年紀はじめのメソポタミア史上のもっとも重要な要素は,半遊牧民アラム人の不断の脅威であった。…

※「ティグラト・ピレセル(3世)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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