山岡 万之助(読み)ヤマオカ マンノスケ

20世紀日本人名事典 「山岡 万之助」の解説

山岡 万之助
ヤマオカ マンノスケ

明治〜昭和期の司法官僚 日本大学総長;貴院議員(勅選)。



生年
明治9年4月11日(1876年)

没年
昭和43(1968)年6月22日

出生地
長野県岡谷市

学歴〔年〕
日本法律学校(現・日本大学)〔明治32年〕卒

学位〔年〕
法学博士

経歴
東京地裁判事となり、明治39年から3年間ドイツライプツィヒ大学留学。帰国後は日大教授となったが、平沼騏一郎らの知遇を得て司法省刑事局長、警保局長などを歴任。昭和4年から貴院議員を16年間務める。この間、8年からは日大総長に専念し、戦後の追放解除後も日大名誉総長として日大の発展に貢献、刑法、刑事政策学などに業績を残した。また15年に興亜同盟理事長に就任している。著書に「刑法原理」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「山岡 万之助」の解説

山岡 万之助
ヤマオカ マンノスケ


肩書
貴院議員(勅選),日本大学総長

生年月日
明治9年4月11日

出生地
長野県岡谷市

学歴
日本法律学校(現・日本大学)〔明治32年〕卒

学位
法学博士

経歴
東京地裁判事となり、明治39年から3年間ドイツのライプツィヒ大学に留学。帰国後は日大教授となったが、平沼騏一郎らの知遇を得て司法省刑事局長、警保局長などを歴任。昭和4年から貴院議員を16年間務める。この間、8年からは日大総長に専念し、戦後の追放解除後も日大名誉総長として日大の発展に貢献、刑法、刑事政策学などに業績を残した。また15年に興亜同盟理事長に就任している。著書に「刑法原理」など。

没年月日
昭和43年6月22日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山岡 万之助」の解説

山岡万之助 やまおか-まんのすけ

1876-1968 明治-昭和時代前期の官僚,政治家
明治9年4月11日生まれ。東京地裁判事をへてドイツに留学。司法省刑事局長,内務省警保局長などをつとめた。治安維持法制定にかかわり,三・一五事件検挙を指揮貴族院議員。日大総長。昭和43年6月22日死去。92歳。長野県出身。日本法律学校(現日大)卒。旧姓小坂

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山岡 万之助」の解説

山岡 万之助 (やまおか まんのすけ)

生年月日:1876年4月11日
明治時代-昭和時代の官僚;政治家。日本大学総長;貴院議員
1968年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android