斎藤 喜博(読み)サイトウ キハク

20世紀日本人名事典 「斎藤 喜博」の解説

斎藤 喜博
サイトウ キハク

昭和期の教育評論家,歌人 元・宮城教育大学教授;元・島小学校(群馬県)校長



生年
明治44(1911)年3月20日

没年
昭和56(1981)年7月24日

出生地
群馬県

学歴〔年〕
群馬師範〔昭和5年〕卒

主な受賞名〔年〕
毎日出版文化賞(第25回)〔昭和46年〕「斎藤喜博全集」

経歴
小・中学校教師、群馬県教組文化部長を経て、昭和27年から11年間群馬県島村(現・境町)の島小学校長を務める。この間、新しい学校づくりを推し進め、毎年開いた公開研究会には全国から教育関係者が集まった。44年境町境小学校長を最後に退職。49〜50年宮城教育大教授。また、アララギ派の歌人で、歌誌「ケノクニ」を主宰歌集に「羊歯」「証」、著書に「学校づくりの記」「島小物語」「授業入門」「私の教師論」「君の可能性」などのほか、「斎藤喜博全集」(全18巻 国土社)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「斎藤 喜博」の意味・わかりやすい解説

斎藤喜博
さいとうきはく
(1911―1981)

教育研究家。群馬県佐波(さわ)郡芝根村(現、玉村町)に生まれる。1930年(昭和5)群馬県師範学校卒業。長く小学校教員を務め、1952年(昭和27)佐波郡島村小学校長、1964年境小学校長となる。また戦後一時期、教員組合役員としても活躍。民主主義教育のあり方を授業実践のなかで厳しく追究し、民間教育運動や教授学研究に大きな影響を与えた。主著に『未来につながる学力』(1957)、『授業入門』(1960)がある。

[三原芳一]

『『斎藤喜博全集』(第1期全18巻・1969~1971、第2期全12巻・1983、1984・国土社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤 喜博」の解説

斎藤喜博 さいとう-きはく

1911-1981 昭和時代の教育者,歌人。
明治44年3月20日生まれ。昭和27年群馬県の島村小学校校長となり,子供の可能性をのばす教育実践をおこない,その教育は「島小教育」と呼ばれた。個人雑誌「開く」を発行。49年宮城教育大教授。またアララギ派の歌人で,歌誌「ケノクニ」を主宰。「斎藤喜博全集」がある。昭和56年7月24日死去。70歳。群馬県出身。群馬師範卒。

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367日誕生日大事典 「斎藤 喜博」の解説

斎藤 喜博 (さいとう きはく)

生年月日:1911年3月20日
昭和時代の教育評論家;歌人
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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