木村 長七(読み)キムラ チョウシチ

20世紀日本人名事典 「木村 長七」の解説

木村 長七
キムラ チョウシチ

明治期の実業家 古河本店理事長



生年
嘉永5年5月22日(1852年)

没年
大正11(1922)年8月12日

出生地
京都府

別名
幼名=豊四郎

経歴
幕末に米穀生糸商・小野組に入り、のち同組横浜支店長となり生糸の輸出取引に関係。明治10年同組倒産後、古河市兵衛のもとで銅山経営に当たり、21年足尾銅山鉱業所長、30年古河本店理事となり、36年市兵衛の死と共に理事長に就任。38年古河鉱業会社監事長、42年理事長を歴任。2代目主人古川潤吉没後、3代目幼主古川虎之助の後見人となった。大正2年引退し、古河合名会社顧問、古河家相談役となる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「木村 長七」の解説

木村長七

没年:大正11.8.12(1922)
生年:嘉永5.5.22(1852.7.9)
明治期の実業家。京都の商家に生まれる。12歳で小野組糸店に入り,生糸や米穀取引に従事して敏腕を発揮し,上州支店長を務めた。明治7(1874)年の小野組破綻後は,糸店支配人から独立創業した古河市兵衛の片腕となって鉱山業に従事。草倉鉱山をはじめ各鉱山の買収や監督のため東奔西走,各地を巡歴し,創業期の市兵衛の分身的役割を果たした。21年足尾銅山鉱業所長となり,足尾の開発と近代化を推進,その後,古河鉱業会社理事長に就任,大正2(1913)年引退した。市兵衛,潤吉,虎之助の3代の古河家当主の補佐役を務めた。<参考文献>茂野吉之助編『木村長七自伝』

(中村青志)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村 長七」の解説

木村長七 きむら-ちょうしち

1852-1922 明治時代の実業家。
嘉永(かえい)5年5月24日生まれ。12歳で小野組糸店にはいり,米穀生糸取引にあたる。明治10年小野組の倒産後,古河市兵衛をたすけ鉱山事業に参画し,21年足尾銅山鉱業所所長。のち古河本店理事長,古河鉱業理事長などを歴任した。大正11年8月12日死去。71歳。京都出身。幼名は豊四郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「木村 長七」の解説

木村 長七 (きむら ちょうしち)

生年月日:1852年5月22日
明治時代の実業家
1922年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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