永田 耕衣(読み)ナガタ コウイ

20世紀日本人名事典 「永田 耕衣」の解説

永田 耕衣
ナガタ コウイ

昭和・平成期の俳人 元・「琴座主宰



生年
明治33(1900)年2月21日

没年
平成9(1997)年8月25日

出生地
兵庫県加古郡尾上村(現・加古川市)

本名
永田 軍二(ナガタ グンジ)

学歴〔年〕
兵庫県立工業学校機械科〔大正6年〕卒

主な受賞名〔年〕
神戸市文化賞〔昭和49年〕,兵庫県文化賞〔昭和52年〕,神戸新聞社平和賞〔昭和56年〕,現代俳句協会大賞(第2回)〔平成1年〕,詩歌文学館賞(第6回)〔平成3年〕「泥ん」

経歴
兵庫工卒業後、三菱製紙高砂工場に入社、昭和30年製造部長兼研究部長で退社。一方、15歳の時から作句を始め、「山茶花」「鹿火屋」などへ投句。昭和2年「桃源」を創刊するが6号で休刊。以後、原石鼎主宰「鹿火屋」、石田波郷主宰「鶴」、山口誓子主宰「天狼」などを転々とする。24年に「琴座(リラザ)」を創刊、のち主宰。33年「俳句評論」創刊とともに同人となる。平成8年12月「琴座」は503号で終刊、同時に句会も解散した。書画もよくし、交遊は芸術の多方面にまたがった。句集に「加古」「傲霜」「驢鳴集」「吹上集」「悪霊」「闌位」「冷位」「殺仏」などがあり、昭和60年秋には2万句に及ぶといわれる句の中から自選集成した「永田耕衣句集成 而今」を刊行。平成7年の阪神大震災で神戸市須磨区の自宅が全壊したが、半年後、震災をテーマにした句集「自人」を発表。ほかに自選全文集「濁」、書画集「錯」、エッセイ集「山林的人間」「陸沈条条」などもある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永田 耕衣」の解説

永田耕衣 ながた-こうい

1900-1997 昭和-平成時代の俳人。
明治33年2月21日生まれ。「鶴」「天狼」同人などをへて,昭和24年「琴座(リラざ)」を創刊,主宰。俳句の根源は東洋的無の境地にあると主唱した。平成元年現代俳句協会大賞。3年句集「泥ん」で詩歌文学館賞。平成9年8月25日死去。97歳。兵庫県出身。兵庫県立工業卒。本名は軍二。句集に「驢鳴(ろめい)集」「吹毛集」,評論に「山林的人間」など。
格言など】梅雨(つゆ)に入りて細かに笑ふ鯰(なまづ)かな(「吹毛集」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「永田 耕衣」の解説

永田 耕衣 (ながた こうい)

生年月日:1900年2月21日
昭和時代;平成時代の俳人。「琴座」主宰
1997年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の永田 耕衣の言及

【天狼】より

…西東三鬼,橋本多佳子らが,山口誓子を囲む同人誌として1948年(昭和23)1月に創刊。誓子は創刊号で,〈酷烈なる俳句精神〉〈鬱然たる俳壇的権威〉を実現したいと述べたが,三鬼のニヒリズム,永田耕衣の東洋的無,平畑静塔の俳人格などは,俳句精神の根源を探求した成果であり,昭和20年代の俳壇に活気をもたらした。その後は誓子の主宰誌的性格を強め,今日に至っている。…

※「永田 耕衣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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