照国万蔵(読み)テルクニマンゾウ

デジタル大辞泉 「照国万蔵」の意味・読み・例文・類語

てるくに‐まんぞう〔‐マンザウ〕【照国万蔵】

[1919~1977]力士。第38代横綱。秋田県出身。本名、大野万蔵。旧姓、菅。昭和17年(1942)当時の最年少記録の23歳で横綱に昇進した。引退後、年寄荒磯を経て伊勢ヶ浜襲名。→第37代横綱安芸ノ海 →第39代横綱前田山

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20世紀日本人名事典 「照国万蔵」の解説

照国 万蔵
テルクニ マンゾウ

昭和期の力士(第38代横綱)



生年
大正8(1919)年1月10日

没年
昭和52(1977)年3月20日

出生地
秋田県雄勝郡雄勝町

本名
大野 万蔵

旧姓(旧名)

別名
年寄名=荒磯,伊勢ケ浜 万蔵(イセガハマ マンゾウ)

経歴
双葉山全盛期と重なったため優勝回数は少ないが、安定感に溢れるアンコ型の力士で、昭和10年初土俵、18歳で十両、20歳で入幕、22歳で大関、18年1月23歳で横綱に昇進し、最年少記録を全て更新した。25年9月初優勝。26年全勝優勝。そのリズミカルなとりくちは、“桜色の音楽”と形容された。28年引退後は相撲協会理事を務めた。幕内在位32場所、271勝91敗74休。日常生活でも物腰が柔らかく角界紳士と呼ばれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「照国万蔵」の解説

照国万蔵 てるくに-まんぞう

1919-1977 昭和時代の力士。
大正8年1月10日生まれ。伊勢ケ浜部屋に入門し,昭和10年初土俵。17年23歳で38代横綱となり,十両,幕内,大関,横綱の昇進すべてに最年少記録を更新する。優勝2回。28年引退。36年年寄伊勢ケ浜をついだ。昭和52年3月20日死去。58歳。秋田県出身。旧姓は菅。本名は大野万蔵。

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367日誕生日大事典 「照国万蔵」の解説

照国 万蔵 (てるくに まんぞう)

生年月日:1919年1月10日
昭和時代の力士(第38代横綱)
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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