羽仁 説子(読み)ハニ セツコ

20世紀日本人名事典 「羽仁 説子」の解説

羽仁 説子
ハニ セツコ

昭和期の評論家,社会運動家 日本子どもを守る会会長;全国幼年教育協議会会長;婦人之友社取締役;自由学園評議員;自由人権協会理事。



生年
明治36(1903)年4月2日

没年
昭和62(1987)年7月10日

出生地
東京

学歴〔年〕
自由学園高等部〔大正13年〕卒

経歴
父・吉一は自由学園創設者、母・もと子は「婦人之友」を主宰。自由学園に学び、「婦人之友」記者となる。自由学園教師との兼務戦前戦後にわたり幼児教育などを通して子どもを守る運動、平和運動を推進。昭和27年日本子どもを守る会事務局長として活躍し、36年から会長を務めた。38年全国幼年教育研究協議会が発足、会長となる。著書に「シーボルトの娘たち」「私の受けた家庭教育―羽仁もと子の思出」「青春をどう生きるか」「思春期」「子どものしあわせとは」「幼児教育の発見」「人間として女性として」などのほか「羽仁説子の本」(全5巻 草土文化)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「羽仁 説子」の解説

羽仁説子 はに-せつこ

1903-1987 昭和時代の教育評論家,社会運動家。
明治36年4月2日生まれ。自由学園を創設した羽仁吉一(よしかず)・羽仁もと子長女。歴史学者・羽仁五郎の妻。子に映画監督・羽仁進,わらべうた教育研究家・羽仁協子。「婦人之友」記者,母校自由学園の教授などをつとめ,幼児保育につくす。戦後,宮本百合子らと婦人民主クラブ結成。日本子どもを守る会会長。昭和62年7月10日死去。84歳。東京出身。著作に「人間として女性として」など。

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367日誕生日大事典 「羽仁 説子」の解説

羽仁 説子 (はに せつこ)

生年月日:1903年4月2日
昭和時代の教育評論家;社会運動家。日本子どもを守る会会長;婦人之友社取締役
1987年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の羽仁 説子の言及

【日本子どもを守る会】より

…横須賀市で始まった卑猥な観光宣伝レコード《タマラン節》の販売中止運動をきっかけとして,1952年5月に結成された。当時,各地の米軍基地周辺の町では,いわゆる〈特飲街〉の隆盛とともに子どもの性非行の増加など教育環境の悪化が心配されていたが,暗い世相と社会悪から子どもたちを守り,紙芝居の内容改善,体罰の禁止,小児結核の予防など,健全な児童文化の創造と普及のために,父母,教師,市民団体,婦人団体,文化団体,教員組合がこの会の結成に参加した(初代会長は長田新)。…

【羽仁五郎】より

…1921年東京帝国大学法学部を中退し渡欧,ハイデルベルク大学でH.リッケルトに歴史哲学を学んだ。24年帰国,東大史学科に再入学,26年羽仁説子と結婚し,森から羽仁姓に改姓する。27年《佐藤信淵の基礎的研究》を書いて卒業。…

【羽仁もと子】より

…文部省令によらない生活中心教育は,第2次大戦前の自由主義教育の一典型となった。娘に羽仁説子,姪に松岡洋子がいる。【江刺 昭子】。…

※「羽仁 説子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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