婦人民主クラブ(読み)ふじんみんしゅくらぶ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「婦人民主クラブ」の意味・わかりやすい解説

婦人民主クラブ
ふじんみんしゅくらぶ

第二次世界大戦後間もない1946年(昭和21)、豊かな暮らし、女性の自立、世界の平和を願って創立され現在にいたる団体。本部は東京都渋谷区千駄ヶ谷。加藤シヅエ(1897―2001)、宮本百合子佐多稲子(さたいねこ)、羽仁説子(はにせつこ)(1903―1987)、松岡洋子(1916―1979)ら8名が呼びかけ、準備会に集まった23名が発起人となって、1946年3月16日神田共立講堂において創立大会を開いた。当初の綱領は、(1)封建的な思想、制度、慣習と戦う、(2)職域、地域、家庭の民主化のために協力する、(3)婦人の全能力を発揮して日本の民主化のために進む、であったが、1948年11月から(3)に「世界平和確立のための努力」が、1954年5月には「日本の独立のための努力」が加わる。

 創立直後の1946年8月より、『婦人民主新聞』(週刊)発行。新聞を媒介にして都市部を中心に、「有職婦人」だけでなく家庭の主婦も結集させた。会員には戦前から社会活動に参加していた人も多かった。初代委員長は松岡洋子、書記長櫛田(くしだ)ふき(1899―2001)。1950年、共産党の内部対立から婦人民主クラブの活動方針への干渉があり、会員、読者は激減した。創立直後は敗戦混乱への対応、正常配給、内職斡旋(あっせん)、受胎調節など生活擁護活動、文化運動が中心であったが、1950年代には基地反対、原水爆禁止、母親運動、安保改定反対など平和運動の積極的担い手となった。1960年代に女性団体の政党系列化が進むなかで、路線問題をめぐって内部対立が生まれ、1970年に反対派を除名しその組織を解散させた。さらに1984年には、主流派から分裂して「婦人民主クラブ全国協議会」(機関紙『婦人民主クラブ』)が結成された。その後、主流派を主張する婦人民主クラブは「ふぇみん婦人民主クラブ」(機関紙『ふぇみん』)を名のる。除名、解散させられた反主流派は1970年「婦人民主クラブ再建連絡会」を結成、1986年「婦人民主クラブ(再建)」と改称、2006年(平成18)11月に「婦人民主クラブ」(機関紙『婦民新聞』)と名称を回復。それぞれが独立した活動を続けている。

[石崎昇子]

『婦人民主クラブ二十年史編纂委員会編『航路二十年 婦人民主クラブの記録』(1967・婦人民主クラブ)』『婦人民主クラブ編・刊『しなやかに女たち――婦人民主クラブ50年の歩み』(1996)』『婦人民主クラブ(再建)編・刊『明日を展く――通史・婦人民主クラブの五〇年』(2000)』

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