宇治郡
うじぐん
「和名抄」刊本郡部に「宇知」と訓じ、宇治・大国・賀美・岡屋・余戸・小野・山科・小栗(小栗栖)の八郷よりなる(和名抄)。現京都市域(山科区・伏見区)に含まれるのは、余戸・小野・山科・小栗の四郷と思われる。
宇治郡の歴史への登場は早い。菟道河(「日本書紀」垂仁三年紀)・菟道(同神功元年紀)・菟道野(同応神六年紀)・菟道山(同仁徳即位前紀)などの地名がみえているし、菟道稚郎子も宇治にかかわる人名である。
宇治は「うぢ」で、「内」のことであるらしく、大和政権の領域内部として意識されていたのであろう。古代において宇治橋(現宇治市)は重要な施設で、しばしば戦略上の拠点になった。京都に都が移ってからは南都(奈良)への中継点として重要性をまし、別業を営むものも少なくなかった。
宇治郡
うじぐん
「和名抄」刊本郡部に「宇知」と訓じられ、宇治・大国・賀美・岡屋・余戸・小野・山科・小栗の八郷よりなる(和名抄)。うち余戸・小野・山科・小栗の四郷および大国郷の一部は現京都市域に、残余が現宇治市内に比定される。
郡衙の所在地については確定しがたいが、山城国山科郷古図(彰考館旧蔵)によれば、七条六里が「郡里」となっており、隣里が「大津里」(岡屋津に比定される)である。大津里は宇治郡の外港的役割を果していたと考えられるので、この地に郡衙が存在したかもしれない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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