曼荼羅寺(読み)まんだらじ

日本歴史地名大系 「曼荼羅寺」の解説

曼荼羅寺
まんだらじ

[現在地名]善通寺市吉原町

我拝師がはいし山北麓にある真言宗善通寺派の寺院我拝師山延命院と号し、本尊は大日如来。四国霊場八十八ヵ所第七二番札所で、御詠歌は「わづかにも曼荼羅おがむ人はただふたたびみたびかえらざらまし」。久安元年(一一四五)一二月作成の善通曼荼羅両寺々領注進状(宮内庁書陵部所蔵文書)によると、多度たど吉原よしわら郷の六条八里一八坪一町の地に本堂敷地がある。現在の敷地も同地を動いていないとみなされている。「西讃府志」は推古天皇四年の創建で空海の出身氏族である佐伯氏の氏寺であったのを、大同二年(八〇七)空海が自作の薬師如来を安置し、また牛皮の曼荼羅を写してここに納めた。これによって曼陀羅寺と号したといい、「讃岐国名勝図会」(草稿本)は、空海が当寺に金泥両部の曼荼羅を敷き、土をもってこれを封じてその上に堂を建て七仏薬師像を安置したとする。これらは江戸時代における伝えであろう。治暦三年(一〇六七)八月二五日の善芳解(東寺百合文書)によると、空海が入唐帰朝ののち密教修行の道場として建立したとある。

平安時代から鎌倉中期まで京都東寺の末寺であり、善通寺に派遣されていた別当が当寺も合せ管していた。善芳は康平元年(一〇五八)頃当寺の荒廃をみて驚き、ここに逗留して再建にあたった。前掲善芳解によると五間四面の瓦葺講堂は半損、多宝塔は破損、五間の別堂は修理が企てられたが着工できないという状態であった。

曼荼羅寺
まんだらじ

明治二〇年(一八八七)から大正四年(一九一五)まで豊部内とよべない町にあったが、現在は字新地町しんちちように所在する真言宗寺院。山号密雲山、本尊不動明王。明治一六年山形県湯殿山大日坊の精周が熊石くまいし(現熊石町)に巡錫後、江差山崎与五右衛門の開墾地川原に仮屋を建設して、豊漁と講中の安全祈祷を執行したのに始まる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「曼荼羅寺」の解説

曼荼羅寺

香川県善通寺市にある真言宗善通寺派の寺院。山号は我拝師山、院号は延命院。本尊は大日如来。四国八十八ヶ所霊場第72番札所。弘法大師(空海)の建立と伝わる。

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