アラブ石油輸出国機構Organization of Arab Petroleum Exporting Countriesの略称。1968年1月,アラブ産油国の連帯を強化するために,サウジアラビア,クウェート,リビアの3ヵ国により設立された。その後,アルジェリア,アブ・ダビー(1974年6月アラブ首長国連邦(UAE)に委譲),カタル,バーレーン,イラク,エジプト,シリアが加盟し,加盟国は10ヵ国である(1996年末現在。エジプトは1979年4月以降加盟資格を停止されていたが89年復帰)。目的は,加盟国の利益を守り,石油産業における各種経済活動で協力する方法を検討することにある。具体的には,(1)その経済政策や石油政策の調整,(2)石油産業における諸問題を解決するための相互協力,(3)石油関連産業に関する加盟国の共同事業の推進である。アラブのタンカー運航会社の創設や船舶修理用乾ドックの建設,共同エンジニアリング会社の設立等,石油産業に関連する共同プロジェクトの推進の担い手となっている。機構としては,総会,理事会,事務局があり,事務局はクウェート市におかれている。OPEC(オペツク)(石油輸出国機構)との関係については,全般的かつ高次元の石油政策はOPECが決定し,OAPEC加盟国はその決議に従うものと規定しており,その枠内においてアラブ産油国特有の政策の決定が行われる。
OAPECの名が世界的に広く知られるようになったのは,73年10月17日に発動した石油戦略によってである。1967年6月の第3次中東戦争に際して,アラブ産油国は,アメリカ,イギリス,西ドイツに石油禁輸措置を発動したが,効果なく失敗に終わった。実はこの失敗が契機となり,翌年1月に,連帯強化のために,このOAPECが設立されたのである。OAPEC加盟国は,73年10月の第4次中東戦争に際して,(1)第3次中東戦争による占領地域からのイスラエルの完全撤退,(2)パレスティナ人の権利の回復,の二つの目標実現のために,敵対するアメリカ,オランダへの全面石油禁輸,非友好国への供給制限という石油戦略を実行した。このOAPECの石油戦略にOPECの大幅な価格引上げが加味されて,世界とくに日本を中心とする先進輸入国は石油危機に苦悩することとなった。日本は親アラブ政策を打ち出し,三木武夫特使を派遣するなど,OAPEC加盟国に働きかけを行った結果,友好国とみなされて生産制限を免除されたし,74年春には,石油戦略をOAPEC自体が解除した。今後石油戦略が再び発動される可能性や,その成功の可能性は大きいとは考えられないが,平和の維持,紛争の防除,相互理解や協力の増進のために,日本も積極的な貢献を行う必要があろう。
執筆者:深海 博明
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…この石油づけの状況下で,石油の供給が途絶ないし量的に制限されるか,石油価格の高騰が生ずれば,経済やわれわれの生活は決定的な影響を受けざるをえない。 第1次石油危機は,1973年10月6日勃発の第4次中東戦争を契機に,OAPEC(オアペツク)が採用した石油戦略による石油の禁輸・量的制限と,OPEC(オペツク)が一方的に実施した原油価格の大幅引上げとにより発生した。まず石油供給の量的制限は,石油備蓄の放出および節約・有効利用の推進によって相殺されないかぎり,経済の実態面における生産の減少,生活水準の低下を生じさせることになる。…
…この石油づけの状況下で,石油の供給が途絶ないし量的に制限されるか,石油価格の高騰が生ずれば,経済やわれわれの生活は決定的な影響を受けざるをえない。 第1次石油危機は,1973年10月6日勃発の第4次中東戦争を契機に,OAPEC(オアペツク)が採用した石油戦略による石油の禁輸・量的制限と,OPEC(オペツク)が一方的に実施した原油価格の大幅引上げとにより発生した。まず石油供給の量的制限は,石油備蓄の放出および節約・有効利用の推進によって相殺されないかぎり,経済の実態面における生産の減少,生活水準の低下を生じさせることになる。…
…アラブ側はこの戦争を十月戦争またはラマダーン戦争,イスラエルはヨーム・キップール(贖罪の日)戦争と呼んだ。戦争中,石油輸出国機構(OPEC)加盟のペルシア湾岸諸国の価格引上げ,およびアラブ石油輸出国機構(OAPEC)の生産削減措置は,世界経済にオイル・ショック(石油危機)と呼ばれる広範な影響を与えた。戦争後,エジプト・イスラエル間には第1次兵力引離し協定(1974年1月18日),第2次兵力引離し協定(1975年9月4日)が締結され,エジプトはイスラエルとの和平を進めてゆく。…
※「OAPEC」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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