略称OAPEC(オアペック)。1968年1月9日にクウェート、サウジアラビア、リビアの3か国によってアラブ産油国の利益を守るために設立された機構。その後加盟国は増加し、2008年現在、アラブ首長国連邦、アルジェリア、イラク、エジプト、カタール、クウェート、サウジアラビア、シリア、バーレーン、リビア、チュニジアの11か国で構成されている。本部はクウェートに置かれ、主要機関として総会、理事会、事務局が設けられている。
当初の設立目的は、「アラブ産油国におけるヨーロッパ共同体のようなものであり、石油およびその他の関係ある経済分野で、あらゆる種類の合弁事業を行う」ことにあった。だがOAPEC設立の直接の動機は、1967年のイスラエルとエジプトの「六日戦争」(第三次中東戦争)の際にアラブ産油国がとった石油禁輸措置の失敗にある。すなわち、六日戦争のとき、アメリカ、イギリス、旧西ドイツがイスラエルを支援したとして、アラブ産油国はこれらの国への石油輸出を禁止するという強硬措置をとったが、イラン、ベネズエラなど非アラブ産油国が増産してアラブが禁輸措置をとった国への輸出を増大したため、アラブの禁輸政策は失敗に帰した。こうした苦い経験から、アラブ産油国は、石油政策ならびにそれに関係する経済分野で団結と統一を強化するためにOAPECを結成したのである。このことは、アラブ産油国の石油資源の自主管理を意味した。石油輸出国機構(OPEC(オペック))が世界の主要な石油輸出国で結成され、その目的を原油の公示価格の維持・回復に置いたのに対して、OAPECはより幅広く、共通の経済的基盤を築こうとするものであり、またのちには石油輸出国ではないシリア、エジプトが加わったことからも、政治的色彩の濃い機構といえよう。
OAPECは、1970年以来共同事業などにも取り組み、バーレーンに25万トン級タンカーの修理用ドックをつくり、さらに石油化学合弁事業、パイプラインの共同所有などを進めていた。だが、1980年9月のイラン・イラク戦争で両国は対立する。さらに1990年8月2日、イラクによるクウェートの侵攻に端を発した湾岸戦争が、この機構を実質上、弱体化させてしまった。1998年2月なかばに、イラクに対するアメリカの不信は高まり、ふたたび戦争寸前の様相を呈したが、国連のアナン事務総長の調停によって治まった。しかし、2003年にはイラク戦争が起こるなど中東地域での紛争が続くなか、この機構の国際的役割は低下している。2007年後半から2008年前半にかけて、アメリカ国内で原油価格が上昇し、代替エネルギーへの要望が強くなったり、消費者の節約傾向がみられ、原油価格はふたたび低下した。これは石油投資家への批判が厳しくなったことにもよる。もちろん中国、インドなどは輸入が増加し、その割合は40%台になった。アラブの石油輸出国機構も、消費国、新需要国の動きをみながら生産計画や過剰ドル対策のあり方を迫られている。同時に、先進国、途上国などの環境政策を見極めつつ、その対応も再検討されるであろう。
[清水嘉治]
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1968年にクウェート,サウジアラビア,リビアの3国で結成された組織。本部はクウェート。アラブ産油国間の政策協調,開発協力を目的とし,現在は11カ国が参加。一部の国は石油輸出国機構(OPEC)にも加盟しており,第4次中東戦争にかかわる石油危機などでは大きな役割を果たした。
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…アラブ石油輸出国機構Organization of Arab Petroleum Exporting Countriesの略称。1968年1月,アラブ産油国の連帯を強化するために,サウジアラビア,クウェート,リビアの3ヵ国により設立された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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