日本の城がわかる事典 「人吉城」の解説 ひとよしじょう【人吉城】 熊本県人吉市麓町にあった梯郭式の平山城(ひらやまじろ)。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。鎌倉時代に相良氏(さがらし)が地頭として人吉荘に赴任して以来、35代670年の長きにわたり在城し、江戸時代には人吉藩の藩庁がおかれた。城は市内中央部を流れる球磨(くま)川とその支流胸川との合流点の山に築かれており、2つの川を北と西の天然の堀とし、東と南は山の斜面を城壁として活用するなど、巧みに自然を利用している。球磨川沿いに三の丸、その南に二の丸、さらに丘陵上に本丸が配されている。幕末に築かれた石垣の一部には、ヨーロッパの槹出工法(はねだしこうほう)を応用した「武者返し」と呼ばれる独特の石垣があるが、このような城壁は日本ではほかに五稜郭(ごりょうかく)(北海道函館市)にしか見られない。JR肥薩線人吉駅から徒歩約25分。九州自動車道人吉ICからすぐ。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「人吉城」の意味・わかりやすい解説 人吉城ひとよしじょう 江戸期の城。熊本県人吉市麓(ふもと)町にある相良(さがら)氏累代の居城である。相良長毎(ながつね)は1587年(天正15)豊臣(とよとみ)秀吉に本領を安堵(あんど)されてから城を築き始め、関ヶ原の戦い後も2万2000石を安堵され、1639年(寛永16)に完成させている。城は東に球磨(くま)川、西に胸(むね)川が流れる要害の地で、南東最高部を本丸とし、その北西方に二の丸、三の丸を配していた。石垣の最上部を一段外方に張り出す武者返(むしゃがえ)しの手法をとっており珍しい。国指定史跡。[小和田哲男] 人吉城跡 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例