20世紀日本人名事典 「大久保春野」の解説
大久保 春野
オオクボ ハルノ
江戸時代末期〜大正期の陸軍大将,男爵
- 生年
- 弘化3年8月18日(1846年)
- 没年
- 大正4(1915)年1月25日
- 出生地
- 遠江国磐田郡見付宿(静岡県)
- 別名
- 通称=忠次,幼名=初太郎,変名=堀田 提一郎,堀江 提次郎,堀江 提一郎
- 主な受賞名〔年〕
- 勲一等旭日大綬章
- 経歴
- 大久保忠尚の長男に生まれ、幼名は初太郎。明治維新時に尊皇攘夷思想に感化され、遠州報国隊に加わり、慶応4年東征軍に隊員として参加、戊辰戦争で戦功を上げる。明治3年5月陸軍大阪兵学寮の幼年学舎に入り、同年10月同校教官・フランス騎兵大尉ビュランの帰国に同行、そのまま留学しロルネーイに師事、軍事刑法学を学ぶ。8年帰国後、少佐。日清戦争に従軍し、27年少将、29年大阪混成第七旅団を率い台湾に、日露戦争時に第六師団長として満州に赴く。33年陸軍中将、教総参謀長などを務め、41年薩長出身者以外では初の陸軍大将となる。この間、戸山学校校長、士官学校校長などを歴任。日露戦争の功により勲一等旭日大綬章を受賞、40年男爵となる。招魂社(靖国神社)の創立に尽くし、初代宮司となり祭典取調所(国学院大学の前身)の設立を図った。報国隊従軍中、フランス留学中は堀田堤一郎、堀江堤次郎、堀江堤一郎などの変名を用いた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報