ことわざを知る辞典 「牛に引かれて善光寺参り」の解説
牛に引かれて善光寺参り
[使用例] 「もともと、こういう文明の見世物とは縁が無いんだ。きょうはきみにさそわれたので、牛に引かれてだが、めんどくさくなって来た」[石川淳*白頭吟|1957]
[使用例] 坂道をくだって見に行くことを考えると、もう止めようと思った。「ホテルで昼食を食べ、帰ろう」と家内にいうが、「もう少し行ってみましょうよ」という返事が返ってきた。女は強い。牛に引かれて善光寺参りではないが、家内に導かれて歩き出した。「藤村詩碑」という表示が目に入ったときの喜びは何ともいえなかった[斎藤茂太*老いは楽しい|2012]
[解説] 善光寺は長野市にある古刹(六四二年創建)で、古くから特定の宗派にかかわりなく、多くの人々が参詣に訪れていました。地元には、善光寺の近くに住む老婆が、干していた布を牛が引っかけて逃げるのを追いかけて寺の境内に入り、はじめて霊場と知って、その後は熱心に参詣したという伝説ものこされています(類似の説話は中国にもあり、今昔物語に紹介されています)。この牛は観音菩薩の化身とされ、思いがけないことから仏縁が結ばれるという寓意で、ことわざの由来譚ともされてきました。牛が仏縁の契機とされた背景には、仏教が生まれたインドで牛が神聖視されていたことの影響があったと思われます。
現代の用法をみると、仏教的色彩はほとんど薄れ、誰かと同行したことがきっかけになってというくらいの軽い意味で使われる傾向が強まっています。
出典 ことわざを知る辞典ことわざを知る辞典について 情報