小説家、評論家。夷斎(いさい)と号す。明治32年3月7日東京・浅草に生まれ、東京外国語学校仏語科に学ぶ。卒業後福岡高校フランス語講師となるが、やがて辞職。作者37歳『佳人』(1935)による遅ればせな文学的出発までに、小説、エッセイの習作若干、翻訳数編がある。この間の空白期はいわば櫛風沐雨(しっぷうもくう)の修業時代であり、作者が幼少期を過ごした浅草の知的な文雅の風土雰囲気とともに、後年の作家の形成に資するところ大であった。『佳人』ののち『葦手(あしで)』(1935)、『普賢(ふげん)』(1936。芥川(あくたがわ)賞受賞)が続いて発表されるが、いずれも理想の喪失と、絶望からの再生の物語であり、またそこには、この作者の「方法」ともいうべきものが、ほぼその全体的な姿において確立されていたことがうかがわれる。発見より発明へ、位置より運動へという方式の選択、ペンの運動とともに考えるというその特異な小説論等々。続く『マルスの歌』(1938)は、その反軍国的思想のゆえに、掲載誌は発禁処分を受けた。時代は日華事変から太平洋戦争へと移っていくが、戦争に対し作者は一貫して抵抗の姿勢を貫き、一個のアナキストとして身を処した。この戦中の間、作品もまた多くはないが、長編小説『白描(はくびょう)』、伝記『渡辺崋山(かざん)』、評論『森鴎外(おうがい)』、エッセイ集『文学大概』があり、とくに後二者はこの作家の文学世界理解のための好個の手引きを提供してくれる。
戦時中の不振とうって変わって、その文学的活動は戦後華々しく開花した。この活動は、織田作之助、太宰(だざい)治、坂口安吾らのそれとともに、無頼(ぶらい)派ないし戯作(げさく)派の名称で一括されたが、この分類はかならずしも正しくはない。この作家は、一方ではきわめて該博な学識教養をもつ、本質的に意識的かつ方法的な作者である。虚構の場に生活の可能をペンの運動において追究する作者の小説的努力は、『処女懐胎(かいたい)』(1947)、『鷹(たか)』(1953)、『紫苑(しおん)物語』(1956)、『修羅』(1958)、『荒魂(あらたま)』(1963)、『至福千年』(1965)、『狂風記』(1971)などとなって結実し、一方その批評的活動は夷斎の号を冠した『筆談』『清言』『俚言(りげん)』『饒舌(じょうぜつ)』『遊戯』などの諸エッセイのほか、『諸国畸人伝(きじんでん)』『江戸文学掌記』などの秀作を生んだ。わが国の文学的伝統にあってはきわめて特異な、しかし文学そのものからいえばきわめてオーソドックスな、この作家の存在と作品とは、まさに昭和文学史上の一偉観と称して過言ではない。昭和62年12月29日没。
[井沢義雄]
『『石川淳選集』全17巻(1979~1981・岩波書店)』▽『『石川淳全集』全19巻(1989~1992・筑摩書房)』▽『井沢義雄著『石川淳』(1961・彌生書房)』▽『井沢義雄著『石川淳の小説』(1992・岩波書店)』▽『野口武彦著『石川淳論』(1969・筑摩書房)』▽『佐々木基一著『石川淳』(1972・創樹社)』▽『山口俊雄著『石川淳作品研究――「佳人」から「焼跡のイエス」まで』(2005・双文社出版)』
昭和期の小説家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
小説家。東京浅草に生まれる。1920年,東京外国語学校フランス語科を卒業。24年,福岡高等学校講師になるが翌年には辞任。昭和初年代にはジッド,モリエールなどフランス文学の翻訳家として活動するが,この時期は小説方法の開眼を待つひそかな雌伏期間であり,36年に翌年第4回芥川賞受賞作となる《普賢(ふげん)》を発表し,それ以後文学界に特異な位置を確立する。戦前の代表作としては,小説《マルスの歌》(1938),《白描》(1939),批評《森鷗外》(1941),《文学大概》(1942)があげられよう。フランス象徴主義の方法的消化から出発したこの作家が,戦中期に江戸戯作文学に親しみ,戦争に軽妙に抵抗するたくみなパロディの手法を身につけたことも見のがせない。戦後期になると,《焼跡のイエス》(1946),《処女懐胎》(1947)などで時代の創世記的渾沌を造型。《鷹》《珊瑚》(以上1953)は戦後革命期の終焉に贈られた美しい挽歌であった。55年から57年にかけて評伝《諸国畸人伝》を発表した。65年の《至福千年》では,江戸時代とアナーキズムの精神とを橋渡しし,日本の革命運動の根底を凝視する新しい視界をひらく。71年からは記紀伝承と現代東京を結びつける大作《狂風記》を執筆して,80年に刊行。83年には《六道遊行》を発表するなど,齢80歳を越えてなお衰えぬ旺盛な創作力は日本近代文学の一つの驚異であり,その学識の深さにかけても例外的な小説家といえよう。
執筆者:野口 武彦
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…石川淳の小説。1953年3月《群像》に発表。…
… 大正末から昭和10年代半ばまで,フランス文学に対する関心はさらに拡大する。思考する人間の意識,ひいては制作する人間の意識の精密な分析を重視した象徴主義の批評精神に着目し,新しい文学批評の道を開いた小林秀雄,河上徹太郎,ジッドなどを通してつかんだ精神の自由な運動という考えを,文学の拠りどころとした石川淳,スタンダールを熟読し,第2次大戦後になってから,社会の圧力のもとでの個人の生き方を明晰に見つめる小説を書いた大岡昇平など,この時期に出発点をもつ作家は少なくない。また,《詩と詩論》など,シュルレアリスムをはじめとする同時代の文学の紹介に熱意を示す雑誌が,つぎつぎに刊行されたのもこの時期である。…
※「石川淳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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