田中善助(読み)タナカ ゼンスケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「田中善助」の解説

田中 善助
タナカ ゼンスケ


肩書
元・上野町(三重県)町長

生年月日
安政5年(1858年)

出生地
三重県上野町(現・三重県上野市)

経歴
下駄屋の息子に生まれ、15歳で金物屋・田中家の養子に。のち、三重県内初の水力発電所の建設や、近鉄伊賀線の前身となる鉄道の開通を手がけたほか、大正13年から昭和4年まで町長として下水道整備にあたるなど、伊賀の近代化に貢献。“鉄城”のあだ名で事業家として成功を収める一方書画陶芸など趣味の世界でも万能才能を発揮した。平成10年伊賀地方の文化や教育の振興を目指す前田教育会から「田中善助伝記」が出版された。

没年月日
昭和21年

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「田中善助」の解説

田中 善助
タナカ ゼンスケ

明治〜昭和期の実業家 元・上野町(三重県)町長。



生年
安政5年(1858年)

没年
昭和21(1946)年

出生地
三重県上野町(現・三重県上野市)

経歴
下駄屋の息子に生まれ、15歳で金物屋・田中家の養子に。のち、三重県内初の水力発電所の建設や、近鉄伊賀線の前身となる鉄道の開通を手がけたほか、大正13年から昭和4年まで町長として下水道整備にあたるなど、伊賀の近代化に貢献。“鉄城”のあだ名で事業家として成功を収める一方、書画や陶芸など趣味の世界でも万能の才能を発揮した。平成10年伊賀地方の文化や教育の振興を目指す前田教育会から「田中善助伝記」が出版された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中善助」の解説

田中善助 たなか-ぜんすけ

1858-1946 明治-昭和時代前期の実業家。
安政5年10月5日生まれ。明治37年三重県巌倉に水力発電所を完成させる。大正11年関西本線の伊賀(いが)上野駅と上野,名張をむすぶ伊賀鉄道を建設するなど,伊賀地方(三重県)の産業発展につくした。13年上野町長。昭和21年3月28日死去。89歳。伊賀出身。号は鉄城。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

事典・日本の観光資源 「田中善助」の解説

田中善助

(三重県伊賀市)
伊賀のたからもの100選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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