田村遺跡(読み)たむらいせき

日本歴史地名大系 「田村遺跡」の解説

田村遺跡
たむらいせき

[現在地名]南国市田村

西見当にしけんとう遺跡・見当遺跡きたカリヤ遺跡・カリヤ遺跡・かきもと遺跡・正善しようぜん遺跡・じよう遺跡や新たに発掘された桑の本くわのもと船戸田ふなとだ・ワカサカない東松木ひがしまつぎ横手よこてタナカの各地区の遺跡など、旧物部ものべ川の自然堤防上に形成された弥生前期初頭から弥生後期末にかけての集落遺跡で、これらを総称して田村遺跡とよぶ。標高は六・六メートルから九メートルの間にある。弥生前期の水田環濠も発見され、またその遺物などから中村市入田にゆうた遺跡とともに高知県における稲作発生の地と考えられている。


田村遺跡
たむらいせき

[現在地名]朝地町池田

田村の北部池田いけだ川の河岸段丘にある縄文時代早期・後期・晩期複合遺跡。昭和二七年(一九五二)縄文時代晩期の合口甕棺出土したことから遺跡の存在が明らかとなり、同三三年の発掘調査によって、上層で縄文時代晩期、下層で縄文時代早期の包含層が確認された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

知恵蔵 「田村遺跡」の解説

田村遺跡

2000年2月に高知県南国市で見つかった、全国で最大級の弥生時代の集落遺跡。約2000年前(弥生時代中期後半)からの約100年間につくられた約450棟の竪穴住居、約400棟の掘立柱建物の計約850棟が確認された。三重の環濠や大量の土器ガラス玉環状石斧(せきふ)を始め、銅鏡片、神殿らしい建物が描かれた土器、人面獣身の土偶などが出土。北部九州より古い弥生土器もあるとされ、早くから発展し、盛期には「1000人規模の弥生都市だった」との見解も出されている。

(天野幸弘 朝日新聞記者 / 今井邦彦 朝日新聞記者 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田村遺跡の言及

【南国[市]】より

…市域は高知平野東部の香長(かちよう)平野から北部の山地にかけて広がり,南は土佐湾に面する。東端を南流する物部川右岸の沖積低地に田村遺跡がある。弥生時代の集落遺跡で,多数の土器,石器とともに水田や環濠の遺構,銅鐸などが発見されている。…

※「田村遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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